テーマ:フランス文学(162)
カテゴリ:文学
IFJTにて、R.先生の講義、第6回。
「ペン軸 Le Porte-plume」と「紅い頬っぺた Les Joues rouges」の解説。 例によって、講義でのメモをここに記すことにする。 ・『にんじん』の中で、ほぼ中間に当たる上記2つの部分は、教育機関に関わる事柄が書かれている。 ・にんじんとその兄のフェリックスが入れられていたのは、全寮制のサン・マルク塾 L'institution Saint-Marc。二人ともこの私塾から、授業を受けるためにリセへ通学した。 ・作者のルナールは1864年生まれで、政教分離・教育の世俗化といった社会風潮の中で成長した。 ・1905年の「政教分離法」は、上記の社会風潮の結果。それ以前にジュール・フェリー Jules Ferry(パリ市長、首相などを務めた政治家)が推進した施策のような例が多々あり、非宗教化が盛んに議論されていたのは明らか。 ・「ペン軸」の中には、健康的 hygiéniqueという言葉が見える。また、「赤い頬っぺた」では、サン・マルク塾で塾生たちが強制的に手を洗わされる場面がある。こうした健康・衛生の意識や規範は、19世紀後半になって出現・流行した。(*1) ・医師でもあった作家・セリーヌ Louis-Ferdinand Célineは、衛生のために医療関係者が手を洗うべきと提唱し、同業者の間に議論を巻き起こしたことがあるらしい。衛生観念が一般化していなかった証左では。 ・「紅い頬っぺた」で登場するヴィオロヌがマルソーに接する態度は、少年愛 pédophilie 的なものである。前の部分である「ペン軸」では、父親の愛情を受けられず嫉妬しているが、この「紅い頬っぺた」では、肉親ではなく他人の愛情に関して嫉妬している。その嫉妬は、青年期に見られる男女の間柄にまつわるものとも違う。子供から青年への移行期にある、微妙な感情を描き出していると言える。 ・「赤い頬っぺた」は、3~4名の視点が入り混じる。また、はっきりした説明的なことは書かれていない。 ・にんじんのことが「生彩がなく貧相なピエロ Pierrot lymphatique et grêle」と書かれているが、ピエロ(*2)とは月のイメージがあり《陰・ネガティブ》といった性質である。一方、紅い頬っぺたでチヤホヤされるマルソーは《陽・ポジティブ》であり、赤毛で疎まれるにんじんとは正反対である。 ・サン・マルク塾の塾生たちは、冷たい水で顔や手をあらうことを強制されている。ここに、男らしさ・たくましさ virilitéが見受けられる。夜になると、ヴィオロヌがマルソーに見せるような愛情と好対照である。 ・にんじんが閉じ込められるのは、謹慎室 séquestreだが、窓はある。これよりも環境が厳しいのが、窓のない独房 cachot。 (*1)アラン・コルバン Alain Corbinの『においの歴史 Le miasme et la jonquille』新評論 1988年(現在は藤原書店から刊行)に、衛生意識の高まりについて論じられた部分が多くある。 (*2)R.先生が講義に持参したもの。志村けんの「バカ殿様」に似ているように思う… この日の講義も約30分の延長。 次回は、11月18日(土)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.16 10:43:19
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