カテゴリ:美術
これはロマン主義の巨匠ドラクロワの1826年の作品「ミソロンギの廃墟上のギリシャ女性」です。1821年から始まったギリシャ独立戦争1821-1829年)中に、祖国の独立のために、残忍なオスマン帝国軍と戦い、玉砕した、ミソロンギ守備隊の史実に基づいて描かれています。 ギリシャは15世紀以降、オスマン帝国の支配にありましたが、1821年に独立戦争が起こりました。約10年に及ぶ戦争の中で,約20万人ものギリシャ人が犠牲になったといわれています。 その中でも最も多くの犠牲者を出したのが、キオス島でした。キオス島はエーゲ海に浮かぶ大きな島で、トルコのすぐ西に位置しています。そのエーゲ海上で最も豊かといわれたキオス島に、1822年3月、約2500名のギリシャ義勇兵が上陸して、トルコ軍との間に戦闘が始まりました。 さて、絵の舞台となったミソロンギは、ギリシャ中央部に位置する海辺の町です。ここはギリシャ独立戦争で、キオス島と並んで、オスマン・トルコ軍と激戦が繰り広げられた悲劇的な場所です。1822年以降4回もトルコ軍に包囲されたにもかかわらず、1826年まで持ちこたえました。 ギリシャ軍は2回目の篭城戦に勝利した後、イギリスの詩人バイロンも私財をなげうってミソロンギのために参戦し、翌年の1824年4月に戦地にて病死したことは国際世論を動かす上でも重要な役割を果たしました。 一方、ミソロンギにわずか残ったギリシャ守備隊は、1826年4月22日にオスマン帝国軍がとうとう町に侵入した際に、自ら要塞の火薬庫に火をつけて爆発させ、自決してしまいました。この作品は、そのミソロンギの悲劇的かつ英雄的な戦いを描いたものです。 それでは、画面を見てみましょう。薄いテュニックを着て、胸をあらわにした女性戦士の堂々たる姿は、ルーヴルの古代ギリシャ彫刻「サモトラケのニケ」からヒントを得たように思われます。彼女は、爆発で廃墟となった要塞の瓦礫の上に立ち、背後からオスマン兵が近寄って繰るにもかかわらず、両手を腰の横に広げて、澄み切った表情で、遠い空を見つめています。近い将来、必ずや勝ち取るであろう、自由と勝利を確信した、勝利の女神の眼差しです。 最後に、今もなお、全滅の危険をも顧みず、祖国のために戦闘を続ける、マリウポリのウクライナ軍の崇高な祖国愛に、心から敬意を表すると共に、マリウポリに残る数多くの市民が、安全な場所に避難できることを祈っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.24 13:52:12
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