086760 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

万人のための美術史 森耕治

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021.06.26
XML
カテゴリ:美術

静岡県立美術館の贋作問題「波」の現状と木下直之館長への公開質問状 2021年5月27 

  4日前に、ロダンの元愛人であり、精神病院で誰にも看取られずにこの世を去った不遇の女性彫刻家カミーユ・クローデルの贋作「波」について発表しました。昨日、この贋作を所蔵する静岡県立美術館はようやく形式的に「調査」を開始しました。調査を始めた理由は、学問的理由と言うよりは、この問題が静岡県知事室と県の文化政策課の知るところとなり、さらに地元の静岡新聞も取材を始めたからに外なりません。


 日本において国公立美術館の「贋作」について公言することは、現在までタブー視されてきました。ましてや美術史家や学芸員が贋作について公言することは、職を失うことと同じです。でも私は、研究者として、たとえ半殺しの目にあってでも、真実を追求し、公立美術館による贋作を真作として、国民の血税を浪費したうえ、さらにそれを組織的に隠蔽する行為に目を瞑ることはできませんでした。

  静岡県美は「調査」と言いながらも、この問題を自分の職業生命をかけて発表した私とは、一切コンタクトを拒否し続けています。これが真摯な態度の「調査」でしょうか。木下館長には、遅くとも今週の月曜日には、しかるべき第三者を通じて、私の電話番号とメールアドレスをお伝え済みです。また、静岡県知事室と県の文化政策課も私の電話番号はご存知です。

また総務省も情報を共有しています。ただ、昨日、県の文化政策課の課長さんからは、丁寧なお電話をいただき、「調査」を約束されたことは、事実として申し上げます。

  今後この問題は、「専門家委員会を作って調査します」という発表をして、ほとぼりが冷めた頃に、「調査したが贋作とは認められなかった」という筋書きで進行しそうです。しかし、購入年が1992年ですから、販売した日本エージェントへの詐欺による民事訴訟の時効が来年に迫っています。「専門家委員会に任せた」の理由で、時間を稼ぎ、時効を待ち、結局誰も責任を取らないという最悪のシナリオを許してはなりません。

  また、静岡県美の公式サイトには、相変わらず、贋作「波」の記事が写真付きでオリジナルとして掲載されてあります。その上、作品のサイズも50x56x60 と記されたままで、私が先週実測したサイズは、38x56x60 でした。たった1分、学芸員が巻き尺を持って作品を実測すればそれで済む問題ですら、正そうとしていません。県美が真面目にこの贋作問題に取り組もうという姿勢は微塵にも感じられません。ぜひ静岡県美のサイトをご覧になって下さい。この機会に、他の本物の優秀な作品も見ていただければ幸いです。

http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/.../museum.../detail/1756



この贋作は、フランス最高裁が作品そのものが「著作者人格権」を侵害しているとの判決を下して、被告に作家の子孫への慰謝料の支払いを命じましたものです。当然、インターネト等で贋作の写真を配信することも「著作者人格権」に抵触するために、ヨーロッパのサイトからは、すべて削除されています。ところが静岡県美は堂々と写真を掲載して、これはフランスだけでなく、世界中で見ることができます。フランス最高裁の判決は日本では効力はないとはいえ、写真を配布することで、フランスにおいて違法行為を続けているのです。

 ここで、もう一度カミーユ・クローデルの贋作「波」について詳細を記しておきます。

カミーユが制作した「波」のオリジナルは、フランス国立ロダン美術館所蔵のオニキス製の一点のみです。ところが、奇妙なことに、静岡県美術館には、もう一点ブロンズ製の「波」が常設展示されてあります。これは カミーユ・クローデルの弟ポールの孫レンヌ・マリ・パリが1889年から1999年までの約10年間に鋳造させた偽物のブロンズ像8点または9点のうちの一点です。これはカミーユの死後40年以上たってから、オニキス製のオリジナルから、型を取って鋳造したものです。これをReproduction(再型どり鋳造品)または「ブロンズ複製品」「孫抜き)と呼びます。そして、これらのブロンズ像の一部は、「オリジナル」と記した証明書付きで販売されました。

  しかし、1999年に、そのブロンズ像の1点がフランスのギャラリー・マルボーで、「オリジナル」として証明書付きで競売にかけられたことで、ポールのもう一人の孫ヴィオレンヌ・ボンゾンの知るところとなり、「著作者人格権」を侵害するとして、訴訟が起こされました。また問題のブロンズ像を売ったマダム・パリは、パリの刑事法廷でも贋作を販売した罪に問われていました。しかし2014年にパリ高裁の刑事法廷は、違法性を認めたものの時効を言い渡し、マダム・パリは刑事罰を逃れました。

  しかし民事訴訟は、実に17年もかけて争われ、毀損院(日本の最高裁に相当)まで上がりました。その間、フランスでは新聞や雑誌でも大きく取り上げられて世間の注目を集めました。そして毀損院民事法廷1は、2016225日にReproductionをオリジナルとして販売したことの不当性を認めて、ヴィオレンヌ・ボンゾンが勝訴し、ブロンズ像を制作したマダム・パリに、他の子孫たちへの3500ユーロの慰謝料支払いを命じました。この偽物は、鋳造番号3/8が刻印されていました。

  フランス最高裁の判決文全文は、フランス司法省のサイトで誰でも閲覧できます。Légifrance のサイトに入って、下記の判決番号をクリックする。

14-18, 639 14-29, 142 





そしてマダム・パリが自ら執筆したカタログ・レゾネには、「カミーユ・クローデルのサイン入りの鋳造番号1/8, A.Valsuani鋳造所」と記載されています。 つまり、静岡県美の鋳造番号1/8と同じです。被告のマダム・パリが同じ型から鋳造させた8点のブロンズ像の一点です。

  ところで、この毀損院判決は、美術品のオリジナルについて規定した「フランス税法」第98A-II付帯文IIIに基づいています。なぜ税法によって美術品のオリジナルが規定されているかと言えば、「オリジナル」の付加価値税率(消費税に相当)5.5パーセント(通常は20%)に減額されるからです。またオリジナルかそうでないかの問題は、美術品の輸出審査にも大きな影響を及ぼします。

フランス税法の規定は、美術品を7つのジャンルに分けた上、「オリジナル」を定義づけていて、非常に興味深いものがあります。また日本でも、フランスと関係のある美術関係者には、有益な情報となると思いますので、彫刻に関する箇所の要約を書いておきます。

  フランス税法第98A-II付帯文III 「オリジナル」の定義、

3. 彫刻類は、作家およびその権利所有者によって完全に制作されたものであること。ブロンズの鋳造数は8点以内として、作家自身のための「試作品」は4点以内とすること。

また毀損院の判決文には、もう一つの定義が書かれてあります。

  ブロンズ彫刻は、石膏モデルまたは素焼きのモデルから型を取った物でなければならない。(言いかえれば、他の完成品から型を再度取り直した作品は、オリジナルではない。)

それから、毀損院判決では、特に引用はされていませんが、フランスの美術関係者が、基礎知識として当然知っておかなければならない法律に、198133日の政令、通称「マルキュス政令」があります。その第9条には再型どり作品、REPRIDUCTION およびにコピーは、作品上にハッキリとREPRODUCTIONと明記されなければならない、と規定されています。それでは、静岡県美のブロンズ製の「波」はどうかと言うと、実物には、どこにもREPRODUCTIONとは刻印されていません。


 言いかえれば、残念ながら静岡県美の「波」は、3重4重に贋作なのです。まず法律で定められた石膏像オリジナルから型どりせずに、完成品であるオニクス製のオリジナルから再型どりされました。2番目に、オリジナルは、オニクスとブロンズ製なのに、静岡県美モデルは、全部ブロンズ製です。また1983年3月の政令に反して、REPRODUCTIONの刻印が故意に省かれています。つまり違法です。また静岡県美の作品には、写真のように、ひし形を横向けにした刻印の内部が不鮮明です。これは、マダム・パリが書いたカタログ・レゾネ初版の説明によると、ATTILIO VALSUANI鋳造所の刻印です。ところが、この鋳造所は1926年に創設されました。でもカミーユ・クローデルは1913年に精神病院に強制入院させられて、死ぬまでそこから出てこれませんでした。言いかえれば、1913年以降は、カミーユは一切制作にも、ブロンズ鋳造にも関わっていません。それにもかかわらず、強制入院から13年も後に創設された鋳造所が、オリジナル作品を作ったことになります。

 また、静岡県美のブロンズの刻印は、ひし形内部の文字が完全に消されていますが、ATTILIO VALSUANI鋳造所の本物の刻印は、A.VALSUANI CIRE PERDUEとはっきり読めます。フランスの鋳造所が、自分の刻印をわざと判読不明にすることは絶対にありえないことです。

  また、オリジナルは高さが62センチですが、静岡県美のものは2センチ低い60センチしかありません。サイズが小さくなるのは、「ブロンズ複製」と呼ばれる再型どりしたコピーに特有の現象です。ところが、マダム・パリのカタログ・レゾネでは、本物らしく見せるために、高さを62センチと、オニクス製のオリジナルと同じにしています。ところが、実際には60センチしかなかったのです。静岡県美が1992年の購入前に、実物を実測して、カタログとの2センチの差に気づいていたなら(学芸員の当然の任務)、その2センチの差がオリジナル作品を「再型どり」した典型的な贋作の兆候であることが理解できたはずです。また理解できなかったのなら、基礎的知識そのものが欠如していたことになります。

その上、静岡県美のサイトでは、幅が50センチと書かれていますが、実際に現物を測ったところ、本当の幅は、38センチしかありませんでした。つまり、実際の幅は、サイトで公表されているよりも12センチも小さいのです。

                ロダン美術館のオリジナル


 ここで驚くべき事実に気づきます。通常、公立美術館が巨匠の名作を購入する場合には、学芸課と専門家委員会が徹底的にその出所、来歴、サイズ、信憑性について独自の調査をするはずです。ところが、この「波」の購入に関しては、どうもまともな調査が成された跡がありません。作品の寸法すら実測していないのです。もし少しだけでも鋳造年、鋳造所、それに問題のブロンズが過去に展覧会に出展された形跡、また過去の所有者等について最低限の調査をしていたなら、このブロンズ像に関するデータは,偽物を作ったマダム・マリ自身が書いた1991年発行のカタログ・レゾネ以外には、一切存在しないことに気づいたはずです。またこのカタログ・レゾネは、静岡県美が購入して、91.4.24の蔵書印付きで現在も館内に保管されています。それだけではなく、カタログ・レゾネ自体に、カミーユがコンタクトしようがなかった1926年創設の鋳造所A.VALSUAMIが、鋳造したことになっていて、矛盾があることに気づいてほしかったです。

 現在、インターネットで検索可能なデータは、裁判沙汰になったというデータのみです。今でも、この贋作事件を報じるインターネットの記事が、フランス語と英語のサイトにいやほど残っています。一方、偽物のブロンズ像の写真は、写真の掲載そのものが「著作者人格権」を侵害する恐れがあるために、ヨーロッパのサイトではことごとく消されています。唯一の例外は、静岡県美の公式サイトで、制作年度1897-98、受け入れ年度1992年として公開されています。

 それから、もう一点奇妙な偶然があります。この贋作を、日本のエージェント経由で静岡に売りつけたマダム・マリは、実はオニクス製のオリジナルも所有していました。つまり、彼女は、本物と、それから再型どりして鋳造させた贋作の両方を持っていました。そして、偽物は1992年に静岡県美に売却に成功し、その3年後の1995年に、本物をパリの国立ロダン美術館に非常に安い約1億5千万円で売却しました。言いかえれば、マダム・パリは、本物と贋作の売却工作を、同時進行させていたことになります。また、フランス政府に売却した安い値段の補完として、静岡県美に贋作を数千万円で売りつけたと考えられます。この件は、当時の静岡県美が、ロダン美術館とその仲介者であった日本のエージェントと非常に密接な関係にあったことと無関係ではないでしょう。

 なお、この問題が発覚した後、2001年に再出版されたカタログ・レゾネには、問題を起こしたマダム・パリは筆者から姿を消し、別の3人の研究者によって、没後にオニクス製のオリジナルから再型どり(孫抜き)したブロンズ像が存在するとだけ、写真抜きで記されています。

私は決して不正を暴こうとして、カミーユ・クローデルの研究をしたわけではありません、しかし、研究の中で、偶然、静岡県美に、贋作が存在することを見つけてしまいました。この件に関して、私は一研究者として、今後も調査研究を続けていくつもりです。

 

最後に館長の木下直之先生への公開質問状です。

先生は、この贋作が19年もの長い間、静岡県美に真作として提示され続けていることをどのようにお考えですか。先生も研究者であり、東京大学名誉教授であるなら、真実に背を向けず、偽物は偽物とハッキリ言える勇気を出してください。私のような名もない一介の研究者に真実を暴露されて、さぞかしご立腹の事と思います。失礼であることは十分に承知しています。しかし、先生が学者として生きようとされるなら、不正を直ちに正してください。カミーユ・クローデルは、1913年に精神病院に強制入院させられ、その後、精神科医が退院が妥当と判断したにもかかわらず、家族の反対で、30年も精神病員で過ごし、第二次大戦中の混乱期に、誰にも看取られずに寂しく死去しました。死因は分かっていませんが、餓死した可能性があります。我々美術史家は、世の中の無理解と不遇のうちにこの世を去ったカミーユ・クローデルの尊厳と名誉を守り、国民に芸術の素晴らしさを伝えていかねばなりません。

先生が、館長として、また東大名誉教授として、贋作を贋作として認め、館を代表して県民と国民に謝罪して、日本の美術館史上、画期的な一歩を踏み出されることを切に祈ります。それが美術史家の使命です。

森耕治

美術史家

ベルギー王立美術館公認解説者

 

後日談

  私が静岡県庁に「カミーユ・クローデルの『波』購入時の契約書または発注書を開示するように」と言う開示請求は、「5年の保存期間を経過し破棄済み」と言う回答が送られてきました。コピーその他の文書がないわけはないのですが、見せると、ますます贋作であることが明白になるので、ひたすら逃げているとしか思えません。また、購入時の書類は、その作品が真作であることを証明する重要な「来歴」書類であって、それがないということは、いつ、誰から、どのようにして、またいくらで購入したかという来歴が証明できない、つまり真作であることを証明できないことになります。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.06.26 09:47:41
コメント(0) | コメントを書く


PR


© Rakuten Group, Inc.