カテゴリ:美術
「スフィンクスの謎を解くオイディプス」アングル 1808年 ルーヴル これは新古典主義の巨匠アングルのローマ時代(1806-1820)の作品「スフィンクスの謎を解くオイディプス」です。制作の2年前に、栄えある「ローマ賞」の受賞者として、ローマへの給費留学を実現できた彼が、留学の成果を、母校のパリ国立美術学校に送った作品の一つです。同時に送った作品の中には、有名な「浴女」(ルーヴル美術館)も含まれていました。 それでは、作品の理解のために、まず古代ギリシャの三大悲劇詩人ソクラテスが書いた、「オイディプス王」のあらましを簡単に説明します。 テーバイという国の王ラーイオスは、妻イオカステーの間に男の子オイディプスをもうけましたが、神託によってやがてその子が自分を殺し、母を自分の妻にするであろうということを知り、山の中にまだ赤ん坊だったわが子を棄てました。そのときに両親は、生まれたばかりの子どもが、山の中で野獣の餌食になるよう手足を紐でくくっておいたのです。でも子供の泣き声に気づいた羊飼いによって助けられ、コリント王のポリュポとその妻メロペーによって引き取られ、実の子として育てられました。オイディプスと言う名は、ギリシャ語で「足が腫れたもの」という意味があります。山に捨てられたときに、足をくくられために、発見されたときは足が腫れていたのだそうです。 後に知らずに実の父親を殺すことになる彼の運命は、実は両親に殺されかけたことに発する、いわば因果応報のエピソードでした。 しかし、大きくなって自分の出生を疑ったオイディプスは、アポロン神に神託を仰ぎました。しかし、答えはえられずに、かえってオイディプスに「故郷に.近づかぬように、両親を殺すことになる。」という神託が与えられました。育ての親を実の両親と信じる彼は、両親に災難が降りかかることを恐れ、国を離れて旅に出かけました。そして、中央ギリシャのボーキスというところにたどり着たとき、山の中の狭い道で実の親ラーイオスと鉢合わせになりました。しかし、道を譲ろうとしなかったオイディプスと実の父ラーイオスとその従者の間で争いとなり、オイディプスは実の父をそうとは知らずに殺してしまいました。 その上彼は、偶然にも 知らずに殺してしまった実の父ラーイオスが王をしていたテーバイにたどり着きました。そこの山道で旅人達を苦しめていたのが、この絵のテーマとなったスフィンクスなのです。スフィンクスは山道で、旅人に「朝は四足、昼は二本足、夜は3本足になって歩く生き物はナンだ」という謎を出して、答えられない者を片っ端からかみ殺していました。 そこで、テーバイの国の摂政クレオーンは、スフィンクスを退治したものには、国と、未亡人となったお后のイオカステーを后として与えるとのおふれを出しました。でもこの未亡人のイオカステーは、オイディプスの実の母だったのです。 そうとは知らないオイディプスは、スフィンクスに遭遇して、ナゾナゾに「答えは人間だ。幼いときには4本足で這い、青年期には2歩足で歩き、歳をとると杖をついて3歩足で歩く。」と見事に答えました。謎を解かれてしまったスフィンクスは、その後、山の上から深い谷に身を投げて死んでしまいました。 そして英雄となったオイディプスは、テーバイ国の国王となり、未亡人となっていた実の母とそうとは知らずに結婚しました。実の母との間に子供まで作りましたが、後に真実を知って、自らの目をつぶして放浪の旅に出ました。 「画面概説」 場所はテーバイ近郊の岩山の峠道です。ここで、スフィンクスは、やって来る旅人に謎々を出しては、旅人たちをかみ殺していました。左下の岩の上に、アングルのサインと、制昨年の1808年が見えます。さらにその下には、スフィンクスが殺した旅人の足と、人骨が転がっています。画面左右の端と下側は、アングルがフランスに戻った1804年に、キャンバスを継ぎ足して加筆しました。 その反対に、スフィンクスはオイディプスよりもはるかに小さく描かれ、影になった顔からは、謎々を解かれてショックを受けた様子が窺えます。また、オイディプスが、手のひらを上にしたポーズと、スフィンクスが左手を手前に差し出すポーズは、まるで愛犬にTa patte (タ・パットゥ、お手)と言っているかのようです。獰猛な怪獣を一瞬にして手なずけたことを暗示しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.25 21:06:26
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