カテゴリ:美術
「エヴァ・プリマ・パンドーラ」ジョン・クーザン(父) 1525-1550 ルーヴル
これはフランス・ルネッサンスの中核をなす、フォンテンヌブロー派の代表作の一つ「エヴァ・プリマ・パンドーラ」(エヴァは最初のパンドーラ)です。描いたのはフォンテンヌブローの南東の村スーシーに生まれたジョン・クーザン(父)で、同名の息子も画家でした。 この作品は、フランス絵画史上、最初にして完全な裸婦像として位置付けられています。ティツイアーノの「ウルビーノのヴィーナス」にそっくりのポーズですが、注意して見ると、モデルの左手は、壺の蓋を抑えていて、その腕には蛇が巻き付いています。また右手には、リンゴの枝を持ち、その下には骸骨が置かれています。 人間を作った巨人族の神プロメーテウスは、天空から火を盗んで、人類に与えました。これに怒った主神ゼウスは、人類に復讐するために、最初の女性パンドーラを、鍛冶の神様ヘーパイストスに粘土から作らせました。そして女神アテナが命を吹き込み、アプロディテーは美貌を、太陽神アポロンは音楽の才能を、ヘルメスは嘘や好奇心に説得力を、最後にゼウスの妻ヘーラは嫉妬心を与えました。 しかし神々は、彼女に蓋を開けることを禁じたピトス(壺)も渡しました。これが「パンドーラの箱」です。本来壺であったのが、後世になって箱と見做されるようになりました。そしてある日、パンドーラは、好奇心に負けて壺の蓋を開けてしまいました。そのとたん、中に詰まっていた死や戦争、飢饉、疫病に嫉妬といった様々な災いが飛び出してしまいました。驚いたパンドーラが壺の蓋を閉めた後、その中には、ただ一つ「希望」が残ってしまいました。 この逸話には、パンドーラが受け取った壺は、彼女の結婚祝いであって、壺にはめでたい物が詰まっていて、彼女が蓋を開けたために、中に、希望だけが残ったという、別バージョンもあります。両方のバージョンを理解することで、この作品の正しい理解が可能になります。 一方、旧約聖書の創世記に書かれたエヴァも、神の言いつけに背いて、禁断の実を取って食べて、アダムに渡しました。その行いが、神の怒りに触れて、人類は、老いて死ぬ運命となり、死ぬまであくせく働く定めとなったのです。 つまり、ジョン・クーザン(父)の狙いどころは、旧約聖書とギリシャ神話の、2人の女性の始祖の掛け合わせによって、美女がもたらす恐ろしさを表しています。また表面的には、男を誘惑する女性が悪いようですが、その割には、全裸の美女を堂々と描いていることで、建前と本音の違いが露呈しています。
「画面概説」 パンドーラは、暗い岩のアーチの前に横たわり、背景には河が流れています。パネルに書かれたタイトルの「エヴァ・プリマ・パンドーラ」は、その岩のアーチに吊り下げられています。さらにその向こうには、霞んだ町と岩山がそびえています。 またモデルの描写に、「ウルビーノのヴィーナス」が下敷きに用いられたことが明白ですが、細部を観察すれば、幾つもの相違点があります。まず、マニエリスムの特徴でもありますが、「ウルビーノのヴィーナス」よりも、身体を引き延ばして、より完全な八頭身にしたことです。しかもパンドーラの左足は、明らかに、下になった右足よりも長く描かれていますが、不自然さは感じられません。 見落としやすい点ですが、フォンテンヌブロー派の始祖と見做される、フィレンツェ出身の画家ロッソ・フィオレンティーノの作品「バッカス、ヴィーナスとキューピドン」(ルクサンブルグ大公国歴史美術博物館)と、ヴィーナスの顔にヘアスタイルが同一で、顔の傾きまでが同じです。同一の画面上に、ティツイアーノとロッソ・フィオレンティーノの二人の巨匠、さらにダヴィンチの背景まで借用したジョン・クーザンは、なかなかのしたたか者でした。 パンドーラが右の肘を乗せた骸骨は、ヴァニタスの寓意です。ヴァニタスとは「人生のむなしさ」または「人間とはいつか死ぬ運命にある」ことを意味します。また「どれだけ美しい物であっても、いつかは消えてなくなる」とも解釈できます。
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