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万人のための美術史 森耕治

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2021.09.23
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カテゴリ:美術

「エヴァ・プリマ・パンドーラ」ジョン・クーザン() 1525-1550 ルーヴル

 

これはフランス・ルネッサンスの中核をなす、フォンテンヌブロー派の代表作の一つ「エヴァ・プリマ・パンドーラ」(エヴァは最初のパンドーラ)です。描いたのはフォンテンヌブローの南東の村スーシーに生まれたジョン・クーザン()で、同名の息子も画家でした。

 この作品は、フランス絵画史上、最初にして完全な裸婦像として位置付けられています。ティツイアーノの「ウルビーノのヴィーナス」にそっくりのポーズですが、注意して見ると、モデルの左手は、壺の蓋を抑えていて、その腕には蛇が巻き付いています。また右手には、リンゴの枝を持ち、その下には骸骨が置かれています。

 「エヴァ・プリマ・パンドーラ」は、下敷きとして使われた、ティツイアーノの「ウルビーノのヴィーナス」ほどには、モデルが理想化されておらず、顔の表情と肌の表現にも硬さが感じられます。しかし、いくつもの寓意が込められた、不思議な魅力を持つ作品です。


 ところで、タイトルのパンドーラには覚えがなくても、「パンドーラの箱」と言えばどうでしょうか。様々な災いを引き起こす原因と言う意味ですが、これはギリシャ神話に由来します。

人間を作った巨人族の神プロメーテウスは、天空から火を盗んで、人類に与えました。これに怒った主神ゼウスは、人類に復讐するために、最初の女性パンドーラを、鍛冶の神様ヘーパイストスに粘土から作らせました。そして女神アテナが命を吹き込み、アプロディテーは美貌を、太陽神アポロンは音楽の才能を、ヘルメスは嘘や好奇心に説得力を、最後にゼウスの妻ヘーラは嫉妬心を与えました。

 しかし神々は、彼女に蓋を開けることを禁じたピトス()も渡しました。これが「パンドーラの箱」です。本来壺であったのが、後世になって箱と見做されるようになりました。そしてある日、パンドーラは、好奇心に負けて壺の蓋を開けてしまいました。そのとたん、中に詰まっていた死や戦争、飢饉、疫病に嫉妬といった様々な災いが飛び出してしまいました。驚いたパンドーラが壺の蓋を閉めた後、その中には、ただ一つ「希望」が残ってしまいました。

この逸話には、パンドーラが受け取った壺は、彼女の結婚祝いであって、壺にはめでたい物が詰まっていて、彼女が蓋を開けたために、中に、希望だけが残ったという、別バージョンもあります。両方のバージョンを理解することで、この作品の正しい理解が可能になります。

 一方、旧約聖書の創世記に書かれたエヴァも、神の言いつけに背いて、禁断の実を取って食べて、アダムに渡しました。その行いが、神の怒りに触れて、人類は、老いて死ぬ運命となり、死ぬまであくせく働く定めとなったのです。

 つまり、ジョン・クーザン()の狙いどころは、旧約聖書とギリシャ神話の、2人の女性の始祖の掛け合わせによって、美女がもたらす恐ろしさを表しています。また表面的には、男を誘惑する女性が悪いようですが、その割には、全裸の美女を堂々と描いていることで、建前と本音の違いが露呈しています。

 

「画面概説」

パンドーラは、暗い岩のアーチの前に横たわり、背景には河が流れています。パネルに書かれたタイトルの「エヴァ・プリマ・パンドーラ」は、その岩のアーチに吊り下げられています。さらにその向こうには、霞んだ町と岩山がそびえています。

 この岩のアーチの向こうに霞んだ風景は、ダヴィンチの「岩窟の聖母」のルーヴル・バージョンに酷似しています。もしジョン・クーザンが「岩窟の聖母」を見て、このパンドーラを描いたのなら、1625年以前の来歴が不明な「岩窟の聖母」ルーヴル・バージョンが、16世紀半ばには、国王フランソワ1世のコレクションになっていたという仮説を、補完するものです。


 さて、モデルは当時の女性美の規範に則って、白い肌に、小さな乳房、発達した腰、それに八頭身で描かれています。鼻筋は「ミロのヴィーナス」ように、額からまっすぐ一直線に伸びています。

またモデルの描写に、「ウルビーノのヴィーナス」が下敷きに用いられたことが明白ですが、細部を観察すれば、幾つもの相違点があります。まず、マニエリスムの特徴でもありますが、「ウルビーノのヴィーナス」よりも、身体を引き延ばして、より完全な八頭身にしたことです。しかもパンドーラの左足は、明らかに、下になった右足よりも長く描かれていますが、不自然さは感じられません。


 また「ウルビーノのヴィーナス」は、観客の方を微笑みながら見つめているのに対し、パンドーラは、画面の外側を冷ややかな視線で眺めています。

見落としやすい点ですが、フォンテンヌブロー派の始祖と見做される、フィレンツェ出身の画家ロッソ・フィオレンティーノの作品「バッカス、ヴィーナスとキューピドン」(ルクサンブルグ大公国歴史美術博物館)と、ヴィーナスの顔にヘアスタイルが同一で、顔の傾きまでが同じです。同一の画面上に、ティツイアーノとロッソ・フィオレンティーノの二人の巨匠、さらにダヴィンチの背景まで借用したジョン・クーザンは、なかなかのしたたか者でした。


 でも、ジョン・クーザンの裸婦像を、さらに借用した作家がいました。イタリア人彫刻家ベンベヌート・チェリーニが、国王フランソワ一世の注文で制作したブロンズのレリーフ「フォンテンヌブローのニンフ」です。元々は、フォンテンヌブロー城の装飾に使われるはずでしたが、国王の寵愛を失って実現に至らず、チェリーニは鋳造だけして、イタリアに帰国してしまいました。このレリーフを見れば、「エヴァ・プリマ・パンドーラ」と左右逆になっていることが分かります。


 次に細部を観察してみましょう。パンドーラの左手は、「パンドーラの箱」(ここでは壺)の蓋を押さえています。これは、いったん壺を開けて、「希望」以外のすべての災いが外に飛び出したことを暗示しています。そして、左腕に巻き付いた蛇と、彼女が右手に持つリンゴの枝は、エデンの園で、エヴァが蛇から誘惑を受けて、神に背いて、禁断の実(伝統的にリンゴと見做される)を食べた「原罪」を示唆しています。

パンドーラが右の肘を乗せた骸骨は、ヴァニタスの寓意です。ヴァニタスとは「人生のむなしさ」または「人間とはいつか死ぬ運命にある」ことを意味します。また「どれだけ美しい物であっても、いつかは消えてなくなる」とも解釈できます。

 最後に、画面中央に描かれた赤い壺に注目してください。モデル以外の箇所で、最も目立っています。壺上には、男の顔(ゼウスか?)が、レリーフによって表されています。


 この赤い壺の寓意の意味には、諸説ありますが、この絵の下敷きになった「ウルビーノのヴィーナス」と比較すると、2つの重要な要素がパンドーラの絵から消えていることに気づきます。ヴィーナスが右手で持つ赤いバラの花と、背景の窓際に置かれた鉢植えのミルテです。ミルテは、結婚式の象徴として知られています。パンドーラの絵から消えた赤いバラと、鉢植えのミルテが、実は赤い壺に置き換えられたと想像できます。



 この推論は、ゼウスが贈った「パンドーラの壺(箱)」は、彼女の結婚祝いにゼウスが贈ったという、神話の別バージョンに合致します。その場合は、画中に、神話の異なる2つのバージョンが組み合わされていることになります。まさに「折衷様式」の傑作と言うべきでしょう。




     2021.09.23 森耕治






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最終更新日  2021.09.23 14:13:01
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