2022/04/14(木)20:49
モネの被写体を見る眼
モネの被写体を見る眼 日は私の誕生日でしたが、五月末に自費出版予定の「クロード・モネ、睡蓮池」(フランス首相ジョルジュ・クレモンソー著)の邦訳に専念していました。印象派の巨匠モネを知らない人はいないでしょう。またパリのオランジュリー美術館で、モネがフランス政府に寄贈した、八枚の巨大な「睡蓮池」を実際にご覧になった方も少なくないと思います。
しかし、この巨大な八枚のパネルは、第一次世界大戦が終わったその日に、モネが親友で、戦争を勝利に導いたクレモンソー首相に、勝利を記念して寄贈を申し出たものでした。 画家と政治家という全く異次元の世界に生きた二人でしたが、両者とも、筋金入りの共和主義者でした。クレモンソーは、1860年代の第二帝政期、まだパリの医学部の学生でした。でも反帝政運動に身を投じて投獄された経歴を持っています。また。有名なドレフュス事件では、新聞オロールの記者として、ドレフュス擁護の先頭に立ち、エミール・ゾラが、オロールに発表した歴史的記事「我は弾劾する」は、クレモンソーの協力なくしてはあり得ませんでした。 一方、モネも徹底した共和主義者で、60年代から数多くの共和主義者と親交を深めました。その中には、共和主義の闘士であり、社会リアリスムの巨匠クールベも含まれています。また、彼が中心となって1874年に結成された印象派展は、それまでパリで唯一の展覧会であり、唯一の登竜門であった官展と、その国からの押し付けられた美的価値観に反抗して、自由で独立した画家グループの展覧会として、歴史的意義を持っていました。当然、印象派展に集まった画家の多くは、共和主義者たちでした。 そして時代が変わり、80年代からかつての反逆者だった印象派の画家たちは、経済的には恵まれ始めて、長い間食べるものにも不自由を重ねたモネも、あのジベルネーの睡蓮池のある豪邸に住めるようになったのです。しかし、モネの社会的評価は、決して固まった訳ではありませんでした。モネは生涯ただの一度も受勲したことがなく、国からの買い上げ作品も少なく、ロダンやギュスターヴ・モローと違って、国が専門の美術館を建設することもありませんでした。そのような、理不尽な世間の対応に対して、オランジュリー美術館の創設を陣頭指揮して、開館までこぎつけたのは、ひとえにクレモンソーの努力があったからです。 また白内障に苦しんで、何度も挫折しかけたモネを、ある時は優しく、ある時は子供を叱るよう、またある時は、医者として励まし続けたのもクレモンソーでした。そしてモネの死後、ようやくオランジュリー開館にこぎつけたものの、来館者数は落ち込み、憂慮すべき状態が続いていました。そんな状態を打開しようと、クレモンソーが執筆した一種の伝記が、この「クロード。モネ、睡蓮池」だったのです。今あるオランジュリー美術館は、この様なクレモンソーの友情と援助がなければ、開館できなかったし、開館後も、数年後には閉館の憂き目を見たかもしれません。翻訳中の「クロード。モネ、睡蓮池」に、クレモンソーが、モネの物事を見る眼について、モネに語った言葉があります。モネの芸術観の本質をついた言葉だと思いますので、その個所を抜粋してご紹介します。クレモンソーが、いつこの言葉をモネに言ったのかは不明ですが、内容からして、白内障と闘いながら睡蓮池を完成させようとしていた、最晩年期の1920年代と思われます。 ある日、私はモネにこの様に言った。「あなたと私が、物事を同じように見られないのは、私にとっては屈辱的だ。私でも、しっかり目を見開いて、被写体の外観に変化が生じない限り、形と色調を見極めることができる。でも、私の観察力は、光が反射する表面に留まって、それ以上には及ばない。あなたの場合は、別問題だ。あなたの鋼鉄の様な視覚光線は、外観上の固い表面を崩してしまい、被写体の奥深くまで貫通した上、それを光の溶剤の中で溶かしてしまう。そして、絵筆で合成し直して、可能な限り、元の感動に近い形で、網膜上に精緻に再構築する。 木を見るなら、私には木しか見えない。しかし、あなたは、目を半分閉じて、『この単純な幹の中に、何色存在して、光の変化によって、何色になるだろうかと』と考えるだろう。 ここであなたは、すべての価値観をいったん崩壊させた上で、最終的な全体の調和を達成するために、価値観を再構築して発展させている。 あなたは、被写体に対して鋭い分析を行い、その結果は、表現のための、最も優れた近似値を与えている。でも、その分析の遂行のために、自らを苦しめているのだ。 そしてあなたは、果てしない方向に砲弾を発射し続けていることを、知ろうとしない。また、目標に近づくことで満足せずに、完全に目標に到達できないことで、自分自身を疑っている。」
「クロード・モネ、睡蓮池」は、5月末に自費出版して配送予定です。(一部2500円) 100部のみの限定出版ですが、まだ少し残っています。また同タイトルの対面講演会を、本郷キャンパス内の伊藤国際学術研究センターで、5月28日(土)午後6時半に開催します。同じ講演内容で、ズーム講演会も6月4日(土)午後8時から開催です。