2006/01/11(水)00:47
第6回動物実験指針検討作業部会(文科省)◆傍聴記◆
今日は「第6回動物実験指針検討作業部会」の傍聴に行ってきました。
この委員会では、文科省が事務局となり、「研究機関における動物実験等に関する基本指針」の改定作業が進められています。
現在パブコメ募集中の、「実験動物の飼養及び保管並びに苦痛の軽減に関する基準(素案)」(環境省)と、この文科省の指針と、動物実験関連のものが2種類並行して進んでいるため、ややこしいのですが、この文科省の指針もかなり重要なものと言えると思います。
委員会のメンバーは、倫理学の専門の教授2名や動物福祉協会以外は、殆どが動物実験に関わる研究者で占められています。
(悲しいかな、いつもながら多勢に無勢の構造は変わりません。。。)
今回の委員会では、これまでの議論をふまえて文科省の担当者がまとめた素案が提示され、それに対しての議論が行われました。
さて、今回、最大の争点となったのは、この指針の素案の「はじめに」という冒頭部分に載せられた、次のような一文に関してでした。
「1、はじめに
動物実験等は、人の健康・安全・医療の向上と密接不可分のライフサイエンス研究の進展にとってやむをえない手段である。(後略)」
つまり、「動物実験は必要不可欠」か「やむをえない手段」か、という部分が論争の的となりました。
研究者の方々は「やむをえない手段」という表現に対して、口々に反論を述べ、「『やむをえない』は消極的なニュアンスがある。動物実験は科学の発展のために必要不可欠なことであり、この指針は積極的に動物実験をしようとする人のためのものなのだから、もっと積極的な表現にすべきである。」というのが、研究者側の主だった意見でした。
それに対して、動物福祉協会から反論もなされたのですが、さらに説得的な反論を企ててくれたのが、高木美也子委員(日大総合科学研究所・生命倫理学教授)でした。
高木委員の意見は、「(研究者側の意見は)科学実験を積極的にすることと、動物実験を積極的にすることとを混同している。動物を使って実験することの申し訳なさ等をふまえたら、動物実験を積極的に言う必要は無いのではないか。その研究に代替法があるのならば、その方法をとった方が良いわけで、現時点で代替法の無い研究については動物実験以外ほかにやりようが無いのだという消極的な立場からスタートするべきと思う。従って、ここの一文は、『やむをえない』という表現のままでよい。」という趣旨のものでした。
しかし、研究者の方々にとっては、この部分はアイデンティティーにも関わる部分なのかと感じさせられるほどに、「必要不可欠である」との意見を変えず、双方の意見は折り合いませんでした。
結局は、文科省の担当者から「『必要、かつ、やむをない手段である』との表現に変えるのはどうか」との折衷案が出され、一応、その場は終息となりました。
結局は、もともと委員の数が多い研究者側の意見に押されてしまったきらいがありますが、この指針の冒頭で、「動物実験は必要である」ということをわざわざ謳うのは、やはり私は賛同できません。
ここは、意見をあげていきたいと思っています。
ただ、今回の指針の素案では、評価できる部分もあると感じました。
例えば、あくまで配慮事項としてですが、3Rが明記され(表現はまだまだゆるいですが)、また、情報公開についても明記されました。
評価できる部分は認め、あくまで譲れない部分はその点を粘り強く訴えていくしかないかなと思います。
★1月末~2月頃にかけて、上記の「研究機関における動物実験等に関する基本指針」のパブコメも行われる予定です。詳しくは、文科省のHPに掲載されると思います。またまた重要なパブコメになりますので、是非、多くの方が声をあげてくださいましたら幸いです。★