そして再発2手術の後、M先生は「これで一つハードルを越えたからね。」と声を掛けてくれた。まだ病理検査の結果を見てみないと悪性か良性かわからない。 結局 私は病理の結果を聞くまで以前の病気(細胞膜顆粒腫)のことをすっかり忘れて いた。「そういえば…」とM先生に言ったのだが時すでに遅し…。 M先生に「早く言ってくれればよかったのに」と言われたが忘れちゃってたんだもんねぇ。 しょうがない。 でもその後の経過を考えると多分同じ病気であろうと思う。 今の先生(○○がつくくらい丁寧な先生)が言ったことがある。 「この病気はね、5年やそこらで再発することはまずありません。10年15年経った 頃が危ないのですよ。ですから面倒がらずに根気良く経過観察しましょうね」と。 M先生は本当に話しやすい人だったが、退院後数ヶ月で大学病院に戻ってしまったらしい。 ひと月ぶりの診察で、私が髪を切ったことにもすぐに気が付き 「お、さっぱりしたね~」と話し掛けてくれるような、そんな先生だった。 (ダンナでさえ気が付かないのに・・・) 私としてはもっといてほしかったのだが・・・本当に大学病院に戻ったのかどうか、 先生の行き先は誰も教えてくれなかった。 「今度再発しても症状が出ないから必ず定期的に病院に来るように」と念を押された。 私が「もう卵巣も子宮もないのに今度はどこに出るのですか?」と聞くと 先生はちょっと言葉に詰まり(そのように私には見えた)「それは、リンパとか・・・」 と答えた。 症状が出ないなら別にほかっといても良さそうなものだ、と思ったけれど リンパだとすると話は別だ、症状が出ないまま、全身に回ってしまうということかな? 目に見えない恐ろしさを感じ、返す言葉がなくなってしまった。 何度も手術していることを知っている看護婦さんに「やり方も年々変わってきている から(手術も)昔より楽になったんじゃない?」と聞かれたが 「でも、こっちも年を取ってるから一緒だよ」と答えた。 そしたら「なるほど~」と感心された。これは 体験者じゃなきゃわからないなぁ、きっと。 このときも熱は出たし やはり食欲がなくて食事を残してばかり。「食べないの?」と 聞かれ「(食事を摂るのが)めんどうくさい」と答えていた。 2週間後 私は退院し、年があけて数日たったところで職場にも復帰した。 最初はひと月に一度ずつ腫瘍マーカーの検査に通う。検査技師さんとも顔見知りに なって、私が行くと「(血管が)出なかったよねぇ…」と言うのだった。 あるときは採血に時間がかかりすぎて 採った血が固まってしまい、検査室を出ていた 私は全館放送で呼び出され、再度採血されたりした。 それからは怪しいと「ちょっと待ってて!(使えるかどうか)聞いてみるから」と 採血が終わっても足止めを食ったりしたのだった。 一夜にして卵巣と子宮を失ったので 急にカーッと熱くなって汗が出たり、頭痛が したり、眠れなくなったり、いわゆる「更年期障害」の症状が出た。 「まだ若いから」と女性ホルモンを数年服用し、睡眠導入剤も出してもらっていた。 今の先生になるまで何人も医師が交代した。ひと月ごとに行っていたときでも 1回しか 診察しなかった医師もいるし、せいぜい5~6ヶ月がいいところだった。 あまり頻繁に交代されると (この先生もいつまでいるかわからないなぁ)と思い、 何かを相談する気にもならないのだった。 婦人科は行きがかり上今の病院に行っているのだが、もし今度再発することがあったら 頭の手術をした病院を紹介してもらおうと内心思っている。 脳外科にもこの先一年に一回ずつ検査に行かなくてはならないし 頭はあっち 婦人科は こっちというのもちょっとな~と思うから。 脳外の病院に変える気はないので 変えるなら婦人科をということなのだ。 必ず再発する、と決まった訳ではないし あくまでも仮定の話だが・・・。 徐々に薬も止めて行き、去年の検査の後「次回は一年後」という話になっていたのだった BACK |