|
カテゴリ:日記
サラリーマンを再開してふと感じたことがある。
それは、一度でも社会人経験があれば、どんな仕事であれ共通している部分があるということだ。 現在の職種と前職では、同じエンジニア職とはいえ仕事内容も方法も全く違うのだが …なぜだか新卒時に比べて順応が早い気がする。 やはり、社会人経験というのは蓄積されていくものなのだろうか? まあ何はともあれ、少しずつ仕事にも慣れてきたようだ。 加えて、なぜか扱いが新卒のように丁寧にされているので、マッタリとした生活を送っている。 まるで、激戦区の戦場からのどかな農村へきたような… そんな不思議な気分だ。 そんな中、どうしても懐疑的になってしまう自分がいて、いつか戦場へと変貌するのではないかと無駄に緊張していたりもする。 今の環境はこのままのどかな農村なのか、それとも実は戦場なのだろうか? 最近の楽しみといったら、相変わらず週末の温泉・アルコールだろうか。 そういえば、温泉で見かけた中学生(くらい)が… いや~、学校の疲れが取れる~ なんていっていたな~。 ちょwww と思ったが、きっと学生も学生で疲れているんだな。 実際、今の職場からは、高校の帰りによく遊んだ高層ビルO(ゲーセン付き)が見えるわけで… 業務中は、しばしば高校時代を思い返している。 今思えば、高校時代もいろいろなことがあった。 先生陣が強烈すぎたので、今でも鮮明に記憶が残っている。 懐かしいのでいくつかまとめてみた。 ―某S先生―(初授業時) S「そこの金髪N…立て」 N「…」 俺(いきなり指導かよ…) S「入り口に来い…そして右を向け」 N「…」 俺(……?) S「そして、さようなら」 俺(……ちょwww) あれは痛烈だった…マジで。 さらにたしか... S「では授業を始める」 俺(というかお前の名前何だよ) S「T、伊藤博文は何を成したか答えろ」 T「………」 俺(なぜにここで伊藤?教科違うだろ) T「あの…わかりません」 俺(だよな~、不意打ちだよな) S「わかる!」 俺(…?) T「…わかりません」 S「わかる!!」 俺(なんだコイツは…ヤバイ) T「………」 S「私の授業ではわからないという言葉は許されない!」 俺(いやいや、それじゃあ授業じゃねえだろう) 本当に強烈な洗礼だった。 とにかく、S先生はヤバかったな…。 昼飯中にも… ピンコンパンコン… 俺(おっ、何か放送かな?) S「お前さん等には道徳はあるのか!」 俺(ちょwww) 今でも、飯を噴出しそうになったのを覚えている。 S先生...本当に強烈でした。 いろいろな意味で。 テスト問題も… ○○○は何をしたかを問う ○○の□□□□について問う ってな感じだったな。 「問う」って…とよく思ったものだ。 しかも、最初の期は選択問題とかなかったな。 お前さん等、選択問題など下の下だ! とか言っていたような。 実際、クラス平均点も20~30点前後だったわけで… 凄惨たる状況だった...。 S先生…いろいろな意味で伝説だった。 他にも濃いキャラの先生が多かったな~。 ―某Y先生― 俺「Y先生、今週分の宿題を提出します」 Y「……やりなおし」 俺「えっ…なんでですか?」 Y「私はなんていった」 俺「え~…」 Y「私はレポートは左上45度の角度で留めるように言ったよね」 俺「え~……すいません、直してきます」 今思えば、どこの姑だよ、と感じる。 ―某T先生―(入学式前) T「わ、私は、き、君たちには日本国家を歌ってほしくない」 俺(………?) T「決して誘導するわけではないけれども、できれば歌ってほしくない」 俺(おかしな先生が出てきた...) T「いや、決して強要するわけじゃないよ」 俺(…いや、強要だよこれは) 結局…入学式、クラス全員誰も歌わず。 T先生、あれは明らかに誘導です。 ―某数学教師―(昼休み) 俺「先生、この問題を教えていただきたいのですが」 教「今飯中だろうが、ダメだダメだ」 俺「それでは、また後で来ます」 部屋を出るとき、女生徒数学数人とすれ違う。 女「先生~、ここ教えて」 教「おっ、どこだどこだ」 俺(ちょwwこのエロジジイが!) ……… ダメだ、書き出すとキリがないのでこれくらいにしておこう。 本当に…いろいろなことがあった。 高校では、勉強以外にも… 厳しさ、恐怖、理不尽など様々なことを学んだと思う。 あの当時は慣れるまでが地獄だったけど、思い返すと良い思い出だ。 プライベートでも… レーザーポインター・たまごっちなどの販売 遊戯王カードの大量購入と販売 ゲーセンのメダル10000枚所持 全国共通ハイパーヨーヨー検定受験 リボルバーガスガンの限界改造 などなど、いろいろなことに挑戦していた気がする。 あのときは、ゲーム感覚最前線だったな。 ハイパーヨーヨーなんて、今の子は知らないだろうな...たぶん。 あれを買うために朝5時から店に並び、青少年補導センターなる集団にからまれたのも良き思い出だ。 他にも……ミニ四駆は… …中学生までだったかな。 たしか、大会本選に出場して、観客のど真ん中にコースアウトしてリタイアだったのを覚えている。 ミニ四駆の大人版に、エンジンカーというものがあるが、あれは大人の玩具だったので当時は知らなかった。 エンジンカー、また始めてみようかな。 今ではほとんどの人が持っている携帯も、当時は珍しかったな~。 いや、たしか携帯ではなくPHSが主流な時代だった。 もちろんカラーなどではなく、着メロも単音(?)だったような気がする。 ちなみにその後、初めて三和音の着メロが出たときは衝撃的だった。 発信に関しても、当時は(今でもかな?)ワン切りというのが非常に流行っていた気がする。 お互いに電波で繋がっている感が欲しかったんだろうな。 ネットも…ピーキュルキュルの時代だったので、使い物にならなかった。 ヤフーのメイン画面に行くのに15分以上かかっていたような…。 携帯音楽も、MDなるものが大ブームだった。 そういえば、MDって今はあまり見かけない気がする。 当時はCDに変わる革新的メディアとして有名だったのに。 まあ...いろいろと思い返せば、なんだかんだで楽しい高校生活だった。 また来週から、高層ビルOを見ながら仕事をするとしよう。 とりあえず今日は… カクテルでも飲んでくつろごう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|