カテゴリ:社会
歴史は暗記科目ではありません。
本当は純粋な学問であるべきなのに、政治的にしばしば利用される運命にありますので、本当は教科書さえ疑ってかかった方がいい、という、とてもへそ曲がりな教科です。 まず、誰からみた歴史か、という視点を定めて、その人にとっての時代の始まりと終わりを眺めていくのが本当は良いのです。 ただ、残念なことに終始一貫して存在する超越者はおりませんので、日本では天皇中心に語られることが多いのですが。 いつの時代にもいる「民衆」をキーワードにして読み解いていく方法もありますが、歴史を書き残すのは一大事業ですので、やはり名家・旧家のものしか出てきにくいというきらいはあります。 そうすると。その時一番勢いがある人々を主人公にして、登場人物を変えていくという方法になるでしょう。バトンタッチ式ね。 それが時代区分です。要はその時代の為政者、ヒーローです。 何事も初めの人はすごいのです。 個人的には石ノ森章太郎先生の「日本の歴史」全48巻は好きですね。力作です。学習漫画の安易さがない。人物描写が素晴らしいと思います。 色々あって、今からでは覚えられなーいと思っていることでしょう。だから、今から覚えるのならこれ。ああ、でも16個もある。まぁ、中学生なら一日で覚えられるでしょう。 ゴロは受験研究社の「まとめ上手 中学歴史年代」ISBN4-424-36722-3 から引用しています。 私が覚えたり作ったりしたものもありますが、ゴロをまとめたものは上記の本を参考にしてください。 古墳時代のヒロイン、卑弥呼。239年にふみく(2・3・9)れと魏に使いを出します。これは日本(にあったと思われる小国)が初めて文字として記録に残ったという、大ニュースです。これまでは、記録上に日本の詳しい話はありませんでした。 古墳時代の終わり、奈良時代のヒーロー、中之大兄皇子と鎌足が起こしたクーデターが、大化の改新です。別に蘇我氏がおごっていたというのが事実とは思えませんが、この頃は前の時代の人が悪政を執り行ったから、次の人が改めるためにさきの実力者を殺したという、クーデターの正当化がいわれます。645年はむようのご(6・4・5)うぞくかな。 ただのクーデターなら、蘇我氏も天皇を弑していますが、(私は多分蘇我氏と天皇は本当に対等に近い関係だったのだと思ってます)彼らはこの後律令をお手本にした政治の萌芽を行っておりますので、特に歴史に残っているのです。 でもね、律令は中国の法律ですので、翻案したり、日本の実態に合わせて作り直したり、なおい(7・0・1)っそう改革が必要だったのですね。701年に大宝律令がようやくできまして、これは公務員のはじまりな訳です。税をとって、国政を行う。 それと平行して都も建設し、710年に平城京ができます。なんと(7・10)見事な平城京。都=政治の中心地はその時代のシンボルになりますから重要です。しかし、大宝律令を編纂し、平城京の建設を行った持統天皇は、たまたまその時代にいたとはいえ、やり手です。緒方さんよりやり手かもしれません。 そこで見事な天平文化が*花*開き、私は修学旅行で奈良の東大寺の柱に開いている*鼻*の穴と同じ大きさの穴とやらをくぐろうとして詰まりました。 f^-^);;; 残念ながら奈良時代は長続きしません。90年余で終わってしまいます。急激な人口増加、度重なる疫病に飢饉は政情不安の原因になります。 ここで次のヒーローが遷都(都のお引越し)をします。 桓武天皇です。結構押しが強いお方のようで、この後「桓武親政」(親政=天皇が直接政治を行うこと)は後世の天皇たちのお手本になります。この方が祖先だといいはる桓武平氏は多分日本中にわさわさいるでしょう。 そして、794年に鳴くよウグイス平安京(7・9・4)に移り、長ーい長ーい間都であり続けます。 この頃はどうやら公用語は半分くらい中国語まじりだったようですよ。エリートは皆漢文=中国語ができないとダメだったみたいです。 中国文化の影響を薄めるきっかけを作ったのは菅原道真という学者さんです。遣唐使という、中国への留学制度を中止しました。先見の明はあったけど、政治的な世渡りはうまくない学者さんだったらしく、左遷されちゃいました。平蔵さんはどっちでしょうか? 遣唐使は894年にはくし白紙(8・9・4)に戻されてます。ハイ。 そのお陰で日本語にひらがなとカタカナができたのでとてもありがたいことです。良かったね\(^o^)/ ああ、3日かかるかも。続きはまた明日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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