テーマ:中学校って・・・(602)
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この問いを考えると聞き、思わず、「それはとても疲れるでしょう?」と逆に問い返してしまいました。
青年期にはかなりの数のお子さんが直面する問いです。 自我同一性の確立のため、苦しみながら、少年期の自分を否定したり、押し付けでない自分を探しながら、得られた答えに満足できずに漂い続けるという時期があります。 つまり、大部分の人は一時的に悩んだ後で、卒業している悩みです。 この悩みが具体的に「自分が何のために生きているか」に直結する思考形態は、少し危ういと言えると思います。そうでない場合は大人の否定=第二次反抗期として表れるのが普通だと思います。 自分の存在を無条件に肯定できないということを意味する問いに、直感的に「危うい」と感じました。何のために生きているかを深く掘り下げるのは危険。 「それは少し危なっかしい問いだね。」と答えました。どうやら自分でもそう感じていたようです。 大人としては、危なっかしくない方向に行って欲しい。とても切実な願いです。でも、考えることをやめなさいとはいえません。考え続け、自分で出した答えしか、受け入れられないからです。 「私はちょうどあなたくらいの頃から考え始めて、23歳の時に答えを見つけたよ。人によって答えは違うし、答えが出る人も出ない人も、考えなくても生きていける人もいるの。」 答えが出なかった人ですぐに思いつくのは太宰治と芥川龍之介かな。永遠に青年であり続ける繊細な人。漠然とした将来への不安は十分に人を殺す力がある。いつかは答えが出るものだと説明した方がいいでしょう。私はそう判断しました。 当然、私が出した答えを知りたがりました。 「そうね。井戸の底をのぞくような思いをして、そこで見つけたのは私は実験が好きだっていうことかなぁ。別に実験が下手でも頭が良くなくても、実験が好きなんだ。そのためだけに生きていてもいいくらい好きなんだ。私が生きているのは実験のためね。何かを知りたい。他のものはその手段にすぎないわ。食事も生きることも全部手段にしてしまっても構わないと思ったのよ。お仕事もね。」 「他の人は自分が考えるから、そのために生きてるって言う人もいたし、人によって答えは違うと思うよ。そしてね、考えることは若い間しかできないみたい。年をとると、そういうことをじっくり考える根気や気力が萎えてきて、どうでもよくなる。だから、年を取ったら楽になるよ。突き詰めて考えないから。 でも、考えることはとても大事だよね。考えているうちに何か大切なものをつかんで浮かんでくるんだよ。 私は自分の答えにいたるまでに少々愚かなこともやっているから、ちょっと私の思考経路は勧められないなぁ。私以外の、思春期を過ぎた別の大人にも聞いてみてごらん。」 私も聞いてみたい。私以外の思春期を経た大人に、「あなたは何のために生きているんですか」と。 私はちょっぴりウソをつきました。今でも私の中には「お前は何のために生きているんだ」と自問するものがいます。つまり、私は暫定的に「実験」と答えを出しましたが、まだあがいているのです。あがく気力が萎えて、漫然と生きているというのは本当です。 無理するな、青年。 かしこ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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