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Q;着飾ったお孫さんの写真を見せられたんだけど、七五三って何かしら?
それは子供が成長する段階での通過儀礼rite of passageです。 女の子は3歳と7歳で、男の子は5歳で神社shrineにお参りします。女の子のほうが早くお祝いをするのは、一般的に女の子は丈夫で三歳まで生きていればその後も生きていくと思われるから。男の子は死にやすいので5歳までは人界にとどまるかどうかが危ういからです。 七五三をやるまでは、子供は半分人間、半分は神様の世界に所属しています。 七五三は江戸時代edo eraからの風習で、統治者governorである将軍general の世継ぎnext generationの成長を願って始められました。当時は子供の死亡率death rate 、mortalityが高く、将軍家であっても大人になることは難しかったのです。 ※徳川15代の中でも嫡男が将軍になったのは初代家康と三代目の家光だけです。 徳川宗家はしばしば世継ぎが絶え、たびたび御三家three top Tokugawa-related familiesから養子を迎えて存続させていました。 Q;三つも親戚がいたのでは、跡継ぎ争いが激しかったのではないかしら。 一応御三家にも序列があって、偉い順に将軍を出していたようです。 Q;どうして女の子は二回やるのかしら? 子供は悪い病気が頭から入ると思われていたので、三歳までは髪を短くbaldしていました。三歳でお祝いをしたのではまだ髪を結ぶことができなかったので、七歳でもお祝いをしています。七歳では大人の着物を着ます。男の子の七歳は手習いenter schoolに行くことでした。 Q;女の子は教育を受けられなかったの? 当時は階層hierarchicallyがあり、一番身分が高いサムライの子供は教育を受けることができました。また豊かな農民や商人も教育を受けたようです。貧しくて全ての子供に教育を受けさせられない人は長男eldest son にだけ教育を受けさせました。 Q;他の子供は?弟達はどうしていたのかしら? 当時は長男が全てを相続inheritしていました。次男や三男は他家に働きに出るか、長男に従っていました。 ※長子相続が一般的になるのは意外と最近の話です。 多分、こういう話をしました。次の日本のふしぎは大嘗祭かな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.11.26 22:55:40
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