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聖書のマタイによる福音書7章7節から8節に有名な以下の部分があります。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、みつかる。だれでも、求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたく者には開かれる」 私が今聖歌隊に所属している教会に関わるようになったのは、娘が幼稚園に入ってからです。 娘が生まれて、以前の教会にはまるで行けなくなって4年が経った頃のことでした。 うちの子どもたち3人が通った幼稚園は元々隣にあるキリスト教会の付属幼稚園として始まったこともあり、キリスト教の教えをもとに運営がなされており、教会との関係も密接です。 そんな中で、子どもの教会を中心に少しずつ今の教会に関わりをもつようになりました。 今では、様々な教会関係の集まりに参加しています。 それほどまで関わるようになったのは、やはり「安心して参加できる」からです。 そして、家や学校、塾などで求められる「お母さん」という役割から私自身に戻れるからです。 牧師先生は悩みを話すたびに「大丈夫」と言ってくれる、柔らかい雰囲気の先生です。 教会とのかかわりを深める第一歩は先生に色々話を聞いていただくことから始まりました。 すでに色々話を聞いていただいているので、変に繕う必要もなく話すことが出来ます。 教会の方々は多くが一回り以上年上で、二回り以上年上の方も多くいらっしゃり、私の年ごろの悩みをずっと昔に過ぎてしまった方たちばかりです。 教会の人々はどことなく品がある人が多く、人生の先輩として尊敬できる方も多くいます。 そういう意味では変に「陰口」「噂話」に気を遣わなくてよくて、安心して自分を出すことが出来ます。 また、普段過ごす中では話す機会もないような若い世代の人々とも、楽しく話すことが出来ます。 若い世代の人々も、自分から積極的に物事に関わろうとしている人が多く、いい人たちだなと思えます。 周りには同じような立場で参加している同年代の女性はいませんが、信者ではない自分を教会の人々はとてもかわいがり、大切にしてくれ、笑顔で話しかけてくれるので、ひとりぼっちをあまり感じません。 何かあったら話を聞いてくれる、助けてくれる人々が周りにいるのはありがたいです。 そういう場があることは、本当に幸せなことだと思います。 この場は私の魂が自分を安心して出せる場を求めたから得られたのだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年12月20日 00時00分30秒
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