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「聖なる予言」(ジェームズ・レッドフィールド、著)に子どもが母親の胎内に宿る前に何を経験するか、親がどのような人でどこに行けばその経験ができるのかわかって選んできた、というような箇所があります。
私はこの「説」が本当だと信じています。 自分の魂が意図をもって、自分が経験したいことを経験するために場所を、道具を選び、それを使って生きる。 でも、生まれ落ちた私たちはそのことを忘れてしまいます。 だから、そういう視点でモノを考えることもできなくなります。 私はどうしてあの親の元に生まれてきたのだろう。 どうしてこの時代の、この場所に生まれてきたのだろう。 自分は必要な経験をするためにどんなパレットを用意しているのだろう。 「神との対話」で神様は、身体障碍や様々な困難も「自分が選んだパレット」の一つだと言います。 どんな状況も、どんな親の側面も、神様からの贈り物なのだろうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月05日 00時00分30秒
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