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恋愛小説は当然、ハッピーエンドです。
そして、本を手に取っている私にはだいたいその出来事が序盤の嵐の話か、中盤の展開のアクセントか、終盤の一押しのために書かれた出来事なのか、わかります(笑) でも、その当事者だったと想像すると、その出来事が何をもたらすのか、どの辺の話のアクセントなのか、まったくわからない。 不幸のどん底に落とされたときに、お先真っ暗な時に、それでも「なんとかなるさ」「私の常に味方でおられる神様が傍にいてくださるのだから、大丈夫」と思えるかどうかは、その人の価値観、信念や信仰次第ですが、そうできることは、宇宙のジニーを動かし、大丈夫と思えること、あのことがあって却ってよかったと思える状況を引き寄せると、感じます。 ハッピーエンドで終わる、恋愛小説のように。 からし種一粒ほどの信仰があれば山を動かせる、と聖書にもあります。 死んだあと、自分の人生をタペストリーを眺めるがごとく振り返るときがくるのだそうです。 その時に、自分が経験してきた出来事が、これほどまでに完ぺきだったと、その構図に感動に打ち震える、そんな機会があるのだそうです。 ひとつひとつの構図となった出来事はもしかしたらつらかったかもしれない。大変だったかもしれない。 でも、それがあったおかげでその後の人生がある。 そして、つらかった時に信仰で、信念で感謝して乗り切ったときにもたらされる果実の美しさはどれほど素晴らしいものかということは、なんとなく想像できます。 絶望の中でも「自分はこういう存在だ」と表現して、その得られたものはどれほど美しいことでしょう。 きっと、大丈夫。 自分の最大の理解者であり味方である神様がいつもそばにいてくださるから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月12日 00時00分33秒
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