2021/06/05(土)00:00
自分の言葉で語ってくれる人を持つ喜び
牧師先生がペンテコステ礼拝に寄せて、このようなことを語ってくれました。
「(キリスト教信者たちが自分たちの喜びを)それぞれの国の言葉で語りだしたわけでした。
聞いていた人々は、自分たちの故郷の言葉で福音を伝えられるものですから、驚いたことでしょう。
でも、自分の国の言葉で話される、そのよくわかる御言葉は一人ひとりの心の奥まで届いたのではないでしょうか」
説明するときに、横文字、専門的な言葉を「愛用」される方がいます。
この人は「わかってもらいたくて話しているんだろうか?」と思ってしまいます。
それとも「私はこんなことも知っているんだぞ、尊敬しろ、すごい人が目の前にいるんだぞ」と言いたいのでしょうか?
それぞれの「国の言葉」で話す。
「国の言葉」は言葉だけではなく、習慣や文化、「その時代の言葉」といった、その人の背景も含むと思います。
相手の心に寄り添う、大切なステップだと思います。
そうすることで、その「よくわかる言葉が一人ひとりの心の奥まで届く」のだと思います。
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