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「神との対話(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)を聞きながら思うこと。
これを自分が言う立場だったら、どんな感じなんだろう。 例えば、著者は神様に「どうしてあなたは姿を現さないのですか」と尋ね、神様は「私自身の姿で現れることは不可能だ。わたしには、あなたがたが理解できるかたちも姿もない」と言う。 私が子どもにこのように言うとする。 それは、どんな感じなんだろう。 子どものいら立ちは、理解できる。 しかし、例えば「霊になった親」が自分自身の姿で現れることが不可能である、というとき、神様も、きっといつかは私の言っていることをわかってくれる時が来ると知っていても、それはいまではない、ということに、どんな思いを持つものなのだろう。 神が啓示されていれば、神の啓示を求めるはずはない、だから、啓示を求めるといえば、 神が見えないという経験をするだろう、という神様に、(霊である親がそばにいると)信じるということは(霊である親は確実に)存在すると感謝できること、ということなんだな~って思いながら聞いています。 (自分が霊であるとして)自分が見えないって言われる、本当にいるの、って言われるのは切ないなと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年02月25日 00時00分19秒
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