私たちは神様のメッセージをどうするのか
神との対話(ニール・ドナルド・ウォルシュ 著)で著者の問いかけに対して神様は言います。著者:What is the karmic lesson I'm supposed to be learning here? What am I trying to master?(この世で私が学ぼうとしている物事の原因と結果とは何なのですか? 私はなにを自分のものにしようとしているのですか?)神様:You are learning nothing here. You have nothing to learn. You have only to remember. That is, re-member Me.What are you trying to master? You are trying to master mastering itself.(あなたはこの世で学ぼうとしているわけではないよ。学ぶことなんてない。ただ、思い出すだけだ。そう、私というメンバーに〈もう一度なる〉ことを。(英語でre-とは’もう一度’ということを指します)何を自分のものにしようとしているかって?自分自身を自分のものにすることをマスターしようとしているんだよ)ここで敢えて英語を載せたのは、神様の「言葉遊びをしながら意図を伝えようとしている中身」が英語で載せないとうまく伝わらないと思ったからです。ちなみに、太文字下線部は「神様が著者に特に強調して伝えようとしていた箇所」だそうです。神様は、きっと私たちに伝えたくてたまらないのです。自分自身を思い出してほしい、本来の自分で生きてほしいと。そのきっかけとして、「神との対話(ニール・ドナルド・ウォルシュ、著)」があり、そして2000年前には「思い出したらこうなるんだよ」という例をイエス様という形で私たちに送ってくれたのだと思います。そして、そのどちらも賛否両論の渦を巻き起こしています。イエス様は十字架につけられてしまいました。さあ、今度は私たちはどうするのでしょう?「神との対話」も十字架につけて殺してしまうのでしょうか?