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人はいつも絶えず、何かしら気を遣って生きています。会社、学校など外ではもちろん、家の中の家族にですら気を遣っていることが非常に多いです。
そういう私もずっと気を遣ってすごしていました。35年の年月を振り返っても、昔に遡れば遡るほど気を遣っていた自分がよく分かります。 病後、身体を良く感じられるようになってから、気を遣っていると胃の上辺りが固くなっていることをいつも感じます。振り返ると、昔はいつもそんな状態だったようなことがおもいだされて… 気を遣わずに生きるとは、素直なそのままの自分で生きることということになりますが、時に、それを「わがまま」と取られることもあるのかもしれません。 「わがまま」もそれを生かして仕事や何らかの形で社会や人に役に立つようにできればそれはその人にしかない個性とも言えるんだと聞きました。 なるほど。 社会的に迷惑をかける昨日も書いた「暴力のわがまま」は明らかに許されませんが、私たちがつい子供たちに「そんなわがままだめです」と言ってしまうことは 本当によくみて感じて、受け留めてあげると、その子の非常に大切な個性であることも少なくないのではないかと、「わがまま」について聞いたときにふと気付きました。 外でも家の中でも気を遣うなんて、苦しいですね。本当に苦しい。その生き方はかなり病気へとつながりやすいのです。どう思われるかよりもどう感じ、自分はどうするのかが非常に大切だと分かってきました。 楽しく、豊かに、どんどんよくなれるように、まずは自分の内を変え、内の環境が外へと温かに伝わっていくように「気を遣っている」状態の自分はもういらないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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