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独り言ポツリ

独り言ポツリ

その1

思いつくままに書く。

母24、父24とき、私は生まれた。
23の時に結婚したそうだ。

私がいくつのころだろう。
保育園に行ってたころかなぁ。
記憶は鮮明に残っている。
何か父を怒らせたのか、私が言うことを聞かなかったのか、
まったく覚えていないんだけれど、
父は私を殴って蹴って、身体的暴力をしていた。
あの時、父も母も26とか27歳だったのかな。
多分3,4歳のころの記憶だから。
弟がいた記憶がないから、多分3歳?
冬だった。
殴って殴って、殴り飽きたら、
私を外に出そうとした。
家より外が怖かった。暗い。真っ暗。
柱にしがみつき、抵抗した。
所詮子供の力。
大工の父にかなうはずもなく、あっけなく外にだされた。
裸足で。
何時間経ったんだろう。
とても長い間泣き叫んで、寒い中歩いたことを覚えている。
恐怖以外のなにものでもなかった。
目の前には真っ暗な公園。
集合住宅の平屋に住んでいた。
母はきっと世間を気にしたんだろう。
お風呂場から私を家に入れてくれた。
足を洗ってもらって、
「お父さんにみつからないように、黙って寝なさい」
といわれて、寝たのを覚えている。
あのときの恐怖が強かったのか、とても鮮明に覚えているし、
あの時すんでいた場所には行きたくない。


小学一年生になったばかりの9月。
その時は、父方の祖父の家で暮らしていた。
妹が生まれるために、私は家に一人でお留守番をしていた。
祖父は、父とうまくいかなかったために、
同じ敷地に家を建て、そこにすんでいた。
母が入院して、父もいなかった。
夜中、喘息の発作が起きた。
苦しくて苦しくて、孤独で、
となりのじいちゃんに助けを求めに行った。
じいちゃんは何もいわずに、世話をしてくれたのだと思う。
そこではキツイ思いもしなかったから。
翌朝、父にとことん怒られた。
父は多分31才だったはず。
私が具合が悪くなったことに腹をたててるわけではない。
なんでじいちゃんの家にいったのか、
ただそれだけのことで、怒られた。
納得行かなかったから、覚えているのか、
暴力を受けた記憶はないんだけど、
記憶から消されているのか。
わかんない。
でも、納得できなかったなぁ。

多分そのころからだと思う。
父の車の音がすると、怖くなってたのは。
それは今も同じである。
何かに理由をつけて殴るから。
おびえていたなぁ。
よくここまで育ったものだ。
父が、おじいちゃんとうまくいかなくなってから、
引越しをした。市営住宅。団地だ。
ここで転校一回目。
いとこ達や、母方、父方の兄弟と会うことを、
快く思っていないのは父だった。
いつも正月、お盆にはおびえていた。
子供だから、遊びたい。
遊んだりあったりしたら、帰ってから殴られる。
でも遊びたかった。
母方のばあちゃんの家で、いとことはしゃいだ。
そこでは父は怒らないからだ。
帰りの車の中から、虐待は始まった。
うるさすぎること。はしゃぎすぎること。
注意しても聞かなかったこと。
帰ってからも殴られたんだと思う。多分。
大人同士のトラブルに子供を巻き込んではいけないよな。


父は弟をとても可愛がっていた。
私はその弟がとてもにくかった。
うらやましかった。
私は弟だけを差別していた。
細かいことに理由をつけ、いじめていた。
それは弟が小学校を卒業するまで続いたと思う。
一番ひどいことしたなぁと思ったのは、
無理矢理、父に「弟と一緒に風呂に入れ」といわれ、入ったとき。
多分私が4年生くらいかな。
成長期に入り、弟と入ることがいやでいやでしょうがなかった。
私は、弟と湯船に入り、蛇口から熱湯を出し、
弟をそこへ押し出した。
「あついよ!!!!!!!」
その声でわれに返った。


小学5年生の夏休み、母方の祖母から土地をもらい、
そこに家を建て、また引越しをした。
それが今の実家だ。
これで転校2回目。
小学校を3回もかわった。
私の成長が始まったころから、父はわざとお風呂をのぞくようになった。
服を脱いでいるときも、脱衣所のドアをあけようとする。
力いっぱいだ。
お風呂場のドアでさえ無理矢理あけようとした。
あけられたこともあった。
反抗したら殴られるのはわかっていたけど、
恥じらいがあった。抵抗した。
父は冗談のつもりだろうけど、とてもとてもいやだった。
父は力仕事をしていた。
いつも寝る前に、マッサージを頼まれていた。
中学生のころから、父は性的虐待をするようになった。
胸をもまれ、キスをされ、
抵抗されたら虐待。
何日も続いた。ずっと続いた。
寝室に呼ばれるのが怖かった。

食事が済んで、食器を片付け、
子供部屋(3人で8畳?)で勉強をしてると、
いつもの怒鳴り声。
「みき!!こい!」
なんでもない用事を言いつけられることもあった。
父の目の前にあるリモコンをとれだとか、
焼酎のお湯を注げとか。
あるいは、なんくせをつけて、
怒鳴り散らし、殴り蹴り、
それに飽きたら、布団たたきでたたく。
うずくまって耐えることしかできなかった。
布団たたきの柄が折れたこともあった。
捻挫、あざはしょっちゅうだった。
骨折したかと思ったこともあった。
実家を出るまで続いた。
私がはむかうと、父は余計に殴ってきた。
女子高で顔にあざを作って、「電柱にぶつかった」と言い訳した。
高校3年のときかなぁ。

塾にも行かせてもらえなかった。
頭を下げ、何度も虐待をうけてから、ようやく
受験勉強させてもらえた。
中学3年の秋のことである。
自転車通学の時だって、原付の免許のときだって、
メガネを作るときだって、
高校の滑り止めを受けるときだって、
高校に通うための原付の購入だって、
何だって私が願うことは、母に相談し、
母は父に頭をさげろといい、
父から虐待され、何度も何日も続いて、
ようやく買ってもらえた。
原付も車の免許のお金も全部自分で払ったけれど。
でも、それをだしにして、
いうことを聞かないと、
原付の鍵をとりあげたり、自転車をのれないようにしたり、
すべてを奪っていった。
そのたびに頭を下げ、殴られ、
父のストレス発散にされていたのだ。


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