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2024.07.22
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論じ質するとは(議論する柔軟性と導き出す多様性について)



人は対話なくして自己の裁量はあり得ない。

相互の疎通ナシでは愛情も浄化される魂も生まれない。

相対する思考の隔たりを如何に緩和すべきか、妥協ではなく結び付く(共鳴する)思考が物事を前に推し進める。相手の思考に対して奇を衒うか。

将又、感情を淀みなく拡散し相手の気持ちを抱き込むか。建前を披露するのか真実を求めるかで、その人の心の存在価値が問われます。

時間と思考のへだたりは限りなく矛盾を生む。

自然の営みはゆっくりと時は流れ移り過ぎてゆき時間は滞ることはない。

けれど人の感情は、その瞬間その時の情熱に左右される事が多々あるのも事実です。問答の駆け引きで融合性のある答えを導きだすのは、その瞬時の、その場の雰囲気に適合しているかである。継続されるべきは時を分かち合う駆け引きか。幾度となく繰り返される対話における真実の探究心。

話す、対話する。

心が、気持が先走る。

ゆえに小心者だから吃(ども)る。心が素直で常に平常心を心掛けていればいいものを、見栄え良くしようと体裁をほどこす。人の気持ちなんて心に思っている事をどれだけ素直に話すことが出来るのだろうか。

議論する。

賛同及び共感を試みる。

自己主張を持って相手をやり込める。

民主的に謳うか、将又、自信過剰的自己満足を得るか。

記憶が知識を得て能力を増す。

その知能に感情というシロモノが共鳴して言葉を謳う。

ただ、人の感情ほど得難いものはないが!

議論する場において何を感じて何を問うか、答えを導く道理は真を得ているのか?物事の筋道を辿り、その過程を考査するに物質(人間)の感情にて発言及び出てくる結論が異論する。

 

物質(人間)が極めてその空間(時間)で不愉快な立場にいれば相手及び集団の意図する質問に考慮せず、物質(人間)の物欲(自己満足)な発言を謳う。物質が極めて微笑ましく、その場の雰囲気を楽しんでいれば自己の賛同を得る確率は高くなる。

けれども物質は多岐にあり、その思考も多様性に富む。男女、人種、人格(宗教的な違い)等々、挙げたら限がないが。議論する物質(人間)が誕生して、成長する過程をも考査する必要があるなら論議の真実は果てしなく拡大する。

況してや遺伝子的な思考も極めて重要であるが、それらも考慮するなら神の存在さえも疑いかねない。相対する物質の能力を考慮しなければならない点が最も重要だが、それは、こちらの洞察力を向上させれば解決されるべきことである。

相互関係における信頼性の有無もある。これも忘れてはならない。そして、集合の場で古来より用いられた手法がある。物質が望むその思いは、その物質の心の色合いに寄与する。俗に言う、慣れ合いの精神というものだ悲しきかな。けれどこの様な作業性も重要視されなければいけない。長い論戦で相互の妥協点を見つけて歩み寄るという仕法だ。されば、物事はその色合いで談合されるに、その場の意図する雰囲気とはかけ離れる場合もある。それとは別に、その様な駆け引きが嫌いで純粋に真実を求めて熟慮を重ねて論戦するかだ。

ゆえに物事を進めるにあたり頭(己の頭脳)はどう判断するか、その手腕を問われる。

導く道理を諭すなら、その物質の得意とする好色な性格を見抜いて矢を射れば良いが!しかし、その歪(ひずみ)が反感を招くにその覚悟無くして道理はあり得ない。その覚悟ありか。自分の力量が問われるのも、その時か。その場、その場の関わり会いの過ごし方なれば異も唱えれば憂いも有り。

己の、自分自身の生まれし過程が導く環境も考慮しなければ判断の公平性に欠け結論はおのずと見えず。さらに付け加えるならば、時代の考査の違いも考慮すべきだと推理する。一昔であれば、現行の対話であった。相対しての議論が行われていた。ゆえに相手の表情、動作などを読み取れたが、現代の議論する場は昔と異なる。

電話、メール、等などがあり、相手の表情が皆無だ。(但し、コロナ感染症により会議及び議論する場が変化する。テレワーク等が広がっています。その要点は、資料を事前に用意する。(以前より、より多くの資料集めが必然となる)相手の顔色を窺(うかが)っての忖度などがなくなる。議題に関する真の意見が述べられるようになる。但し、身なりはある程度の節度を持っておくべきだと思います。通信で携帯にもパソコンにもカメラが常備、備わって相互に姿が見えるから、皆無とは言いがたいが)

ゆえに、「驕れるなかれ謳(うた)い過ぎる事なかれ、答えを述べる前に己の純心に問うてみよ。なにも謳(うた)うことなく己の心に響く言葉を述べよ」

それが答えである。

己に真がなければ他の者も共鳴せず。偽りは心に響かない。

人を感動させることは出来ない。

しかし、物質はホモ・サピエンスだけではない。物質(人間)は極めて視覚的な要素を重要視する。その点、人間以外の物質(いぬ、ねこ、等)は嗅覚系である。人間は、姿形が美しいものを優先するのも極めて合理的である。

美男美女はいい人だと思い込む。本質を離脱した事に気付かずに盲目的になる。まあ、恋が芽生えなくてもいいが。

想うに今時世は言葉の本質を見極めるには最も適した時代かも知れない惑わされることなく真意を読み取れるからである。けれども、物質(人)は果てしなく追い求める性質上、対話する相手の姿形を確認したくなるのも道理である。闇に埋もれたままでは気がすまない生き物でもある。生き物の五感を鍛錬するのもいいが論議の真は何処にあるのか、それが重要である。

ゆえに、議論する場において最も重要視されるべき事は、議題を判断推理して結論を融合し結果を共に合意、及び共有して、その議題の真を見極める能力を持つことである。

 

しかし必ずしも議論された結果が、導かれた結論が正論でなければいけないという道理はない。

顔、姿が異なる様にその人、その人の意見も異なって当然である。多様性であれ、相互における緊密度が濃くても導かれた答えが、結論が正しくても偽りでも賛同される場が、雰囲気が好ましければすべてが良しとなる。平行する議論する音色が共に共有し合えば、醜いアヒルが華麗な白鳥になる事だってあるのだから愚問が良い結果を導く事だってあり得る。物質(人)の摂理はそうしたものだ。だから議論が交わされる。己にないものが他人が持ち合わせている場合だってある。

今世は、男女の心の中が異性とは限らない。男女が同性だってある。その気持ちを、意味合いをわかりあう事が話し合うと言う事だ。その話し合いの中で共鳴、拒否すればいい。だから、結果及び結論は話し合いの中で成立する。そして、事前に論議する議題の答えを指し示す必要はない。答えが未来が見えていたなら理解っていたなら人生は面白くなくツマラナイものになるだろう。

物質(人)の思考が異なっているからこそ論じるのだ。だから、そこに真実の証が存在する。けれど、長い人生の中で気付かされる。求め過ぎるのも...、見極め過ぎるのも無駄が生まれると。物質(人)の心なんて程良いものほど素敵なものはない。

けれど、人間は探究心が多性な生き物でもある。

その場の、その空間における不都合な真実をも、すべて求め過ぎる厄介な生き物でもある。あるがままがいい。ほどよい空間の場が居心地が良い。

導き出す結論は素直な言葉が、その響きが心の共鳴を誘うのも道理と思うのは不自然か。人の心の内部は、視えはしない。

ただ言葉の響きや身体の微動により思考が憶測して推察するに過ぎないのに感性が異なる物質が共鳴、賛同するのは素直な響きがあってのもの。物質の素直さが無かったら共鳴などありえない。求める結果が何を意味するのか、物質の中で感情が極めて優位性を持つのが人間であるのも頷けるだろう。敢えて申せば情熱こそが未来を変えられる。熱意がその場の雰囲気を左右する事だってある。

何時からだろう燃えたぎる様な情熱が失われたのは。

導き出す論じ質するとは

熱き情熱があってのものだと思う。人を思いやる気持ちが過敏になり過ぎるのも良し悪しだが。思うに...、人は歳を取るにつれ保守的な生き物になるも頑固になる。受け入れる、伴に分かち合う、そんな気持を持つのも歳ゆえか。

でも、頑固な人ほど素直であると思うのは自己の思い過ごしか、それとも特有の自我(えご)か!思うに、闘わずして得るものは無いの、喩えでもないが論議する楽しさを味わうのもあっていいのではないかと近頃そう思えるようになっている。要は、その場の人と雰囲気を把握して自己処理及び判断する結論が妥当であるか... 将又、未知の領域まで謳うかである。

ただし、敢えて申せば真の論議なれば結論が意に反しても正論の支持を謳うのが自己の目覚めの啓示になる場合もある。自己の成長につながる議論なれば、その場を多く設けるのも得策か。

でも、得られた結果が、自分が求めるものと異なった場合には気持ちがブレるのも事実である。

だから、物質は人の心を敬愛する。

道理は物事の有無を天秤にかけて運命の欠片も乗せずに物事を決めるが、物質(ひと)の心は気持ちという秤にかけられないモノを持ち合わせている。

人間という生き物は、その心で生きている代物だ。

だから、厄介なのかもしれない。

 

 

 


 

追記

本日の掲載を持って打ち止めにします。

短い間でしたが、閲覧ありがとうございました。(*´▽*)








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最終更新日  2024.07.22 18:07:16
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