こころ に ぴっ♪

2011/03/25(金)11:14

父の死と、震災と。。。

   お久しぶりです。。。東日本大震災から、2週間が経とうとしています。こうしてPCにむかう事すら、後ろめたいような、申し訳ないような気持ちになってしまい・・・日記に時間のかかる私は、なかなか更新する気になれませんでした。 この度の地震 ・ 津波で、命を落とされた方や、そのご家族。不安な避難所生活をされている方々。心から、お悔やみ、そしてお見舞い申し上げます。また、命がけで、福島原発の復旧のため、働いてくださってる方々やご家族のことを想うと・・・ありがたく、言葉に詰まります。 今、わたしにできるのは、確かなところへの義援金かと想い、郵便局から、日本赤十字社 へ振込みさせて貰いました。また、市やJAを通じて、物資や野菜をお送りすることになったので、微力ですが、我が家も協力させていただきました。 少しでも、お役にたちますように。。。 更新もしてないのに、ご訪問くださったみなさん。メッセージを頂いた、せつこマ~マさん、藍夢わーるどさん。ありがとう!!!とっても嬉しかったです。。。  そんな中、 3月19日(土)、実父が他界しました。85歳で、心臓病だった父。今まで3回救急車で運ばれましたが、その度に不屈の精神で持ち直し、実家でのひとり暮らしに拘っていました。ここ3~4年は落ち着いていたのですが、震災のニュースを見て心を痛め、不眠になり、食べ物もあまりうけつけなくなって・・・ 13日に緊急入院。私も、3日間泊り、父の横で付き添いました。協力してくれた、主人や家族に感謝の気持ちでいっぱいです。一時はおかゆが食べられるまで回復しましたが、19日の夜、急変。電話を貰い、主人 ・ 息子とともに駆けつけた時には、亡くなった直後でした。父の手は、まだ温かく、今まで多くの方をおくられたであろう看護師さんが、「眠られてるように綺麗で、驚きました」と言ってくださったほど、安らかな最期でした。泊っていた時は、「水が飲みたい! 酸素マスクが鬱陶しい!!」と、我儘を言って困らせた父。でも、娘だからこそ、本音を言って甘えられたのかな?!と。お二人の看護師さんと共に、父の体を清め、うっすらお化粧もしました。 父が入院する前日、ぽーちゃんを連れて実家を訪れた時のことです。「もう帰ろうか」と車へ向かっていると、「ぽーねぇ、じぃじ、すき。。。」 2歳の娘がポツリとつぶやきました。「じゃ~、もう一回じぃじのところ行く?!」 「うんっ♪」と。「じぃじ、バイバイ。。。」そう言って、父のほっぺにチュッ。 これは、あんまり可愛かったので、「もう一回して!」と頼み、撮った写真です。小さいながら、なにか感じたのかな?!孫が大好きだった父。最後の、そして最高のプレゼントになりました。 亡くなった夜は、葬祭センターの方に無理を言って、大好きだった自宅のベッドで、いつものように寝かせていただきました。翌日(日曜)が通夜、その翌日(祝日)に告別式。まるで、参列してくださる方を想い、休日を選んだかのような・・・生前、なるべく人に迷惑をかけたくなかった、父らしい最期でした。 お骨を実家でひとりにはできないので、四十九日の間は、主人の実家に寄せて貰ってます。お墓ができて落ち着けば、そちらに収める予定。  大好きだった、タバコやロールケーキ。笑った時の口元がうりふたつな息子は、言わなくても、朝晩ちゃんと手を合わせます。ぽーちゃんも「じぃじ、おはよう♪」と。愛する2人の孫の中で、じぃちゃんが生き続けてくれますように。。。  父がお世話になっていた、2人のヘルパーさん。車で30分以上かけ、主人の実家まで、お線香をあげにきてくれました。父も、さぞ喜んでいることでしょう。。。  お父さん。44歳の時に私が産まれてから、ずっと見守ってくれてありがとう。。。幼い時、母に叱られ外に出されると、迎えにきてくれたね。男女交際に厳しく、お互いに誤解もあり、反抗した私は、思春期あまり話さなかったけど・・・私が結婚し、孫ができ、月1で薬を貰いに行く車中で、い~っぱい話せたこと。たまには、父と向かい合わせのランチ。そんな時間を共にし、また、仲良くなれた気がします。お父さんの娘に産まれて良かったよ。これからも、孫の成長を、遠い空から見守っていてね。たくさんの想い出を、ありがとう。。。心から、ありがとう。。。  

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