フロリダより、愛を込めて! 全盲の娘の子育て日記。

5. 義眼探しの名人?


5.義眼探しの名人?                                         
 今だから笑って話せますが、私は自称・義眼探しの名人でした。とにかく、1歳の頃は遊んでいる先から義眼は落ちてしまい、私は家中、彼女が遊んでいた場所を、義眼を探して歩きました。探す場所も彼女の遊びとともに変わっていきました。ある時はおもちゃ箱の中、ある時はトランポリン代わりに飛び跳ねていた、ソファーの間、又ベッドのマットレスの隙間などは序の口です。盲時にとっては、生活のもの全てがおもちゃに変化します。洋式トイレのボールに水があることを発見した頃は、遊びに来ていた父が、トイレの水の中から見上げている目を見つけて、あわてて知らせに飛んで来ました。また、義眼探しの名人が家中どこを探してもみつからず、途方にくれていた時に、ふと目が会ったのがソファーに横になって私の仕草をみていた愛犬のゴールデンリトリーバー。体は大きいものの、まだ1歳の遊びざかり、なんでもかじりたがりの頃で、私は”まさか、、”とは思ったものの、すぐに ”あ!犬に義眼を食べられた。” と悟りました。そうなると私も意地です。それから、毎日犬が庭に出て様をたすのを見計らっては、枝のきれはしを手に私も庭へ。そしてとうとう、犬の落し物の中からむき出した娘の目を見つけた時には、私は宝物探しの勝利者のように、大声を上げて喜びました。それを見ていた主人と長女は、私が子育ての心労からとうとう正気をうしなったと、本気で心配したそうです。

 外出先でも、よく義眼が飛び出しました。電車やバスの中でも、何度も回りの方を”どき!”とさせたことは確かです。病院へ行く途中の込み合った電車の中で気をつけていたにもかかわらず、落としてしまった時には、駅員さんに事情を話して一緒に電車の中を探してもらいましたが、とうとう見つかりませんでした。高尾山に登山に出かけ、ふと主人の背中に負ぶさる娘の目が片方無いことに気づき、今歩いてきた砂利道を100メートルほど戻って見つけた時は奇跡のようでした。一秒でも長く、義眼を入れておかなければとの気持ちで一杯でした。娘もけなげなもので、目じりからじわーと浮き出してしまう義眼を、一所懸命に小さな手で押し戻すのです。感触がわるいのでしょうか、目をしかめてはなんとか中にいれて置こうと努めているのを見ては、なにもしてやれないことに心が痛みました。

 当時、日本義眼研究所でとてもお世話になり、その後独立されて、”義眼工房みずしま(03-3911-7888)”を設立された水島二三郎先生はとても熱心な義眼職人の方で、娘の為に義眼の形を少しづつ変えては、なんとか目に納まる形をとなんどもつくり直してくださいました。川崎の家から、徒歩と電車をのりついで当時の先生の仕事場に通うのは大変でしたが、水島先生の熱意にはいつかきっと、義眼が目に収まる日が来ると励まされました。

 その日は丁度娘が2歳になった頃です。先生が新しくきのこのかさのような形の義眼を作ってくださった時です。その義眼は不思議なほど、外れることもなく、きちんと娘の目に収まっているのです。もう、ちいさな手で義眼を目に押しこむ娘を見る必要もありません。義眼を探してあちこち歩きまわることもありません。それまでの不安と緊張とストレスの2年間から開放された、それはすがすがしい幸せな日々の到来でした。義眼をいれるにあたっては、それぞれの方が、それぞれの苦労をされていることと思います。もっと早く、収まるかたもいるでしょう。2年以上かかるかたもいるかもしれません。皆さん、忍耐との戦いだと思います。今だから言えることかもしれませんが、今だからこそ言えることでも在るのですが、私はもっともっと、目に見えぬ力を信じ、子供の将来を信じて、あせらず心配せずに時をすごせば、どんなにか平和な日々を過ごすことができただろうかと思います。だから私に言えることは、皆さん、大丈夫。必ずやお子さんの目に義眼がはいる日は来ます。これは神様が与えてくださった忍耐の勉強です。人間が一回り心広く、優しくなる為の試練です。どうか、その日を信じて、なるべく心配せず、心安らかに毎日をお送りください。不安に過ごす一日も、未来を信じて、明るく過ごす一日も同じ24時間。どうせなら、明るく子育てを楽しんでください。その方がお子さんにとっても、ご家族にとっても幸せに決まっています。




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