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さくみ69さん、Pachelbel/canonさん、素敵なコメントをありがとうございました。与えた愛情以上の幸せを与えてもらえる。将に、子育ての素晴らしさはそこにありますね。 お互いに頑張りましょう~。
さて、3月はいつもにも無く毎週、旅行の予定がつまった忙しい月となりました。バイオリンのワークショップの興奮もさめやらまに、翌週末はペンシルベニア州・フィラデルフィア市で開かれたアイキャンの会議に家族4人で参加して来ました。 アイキャンとはアメリカを本拠地とする無眼球・小眼球の子供を持つ家族のサポートグループで、言わば、インターナショナル・無眼球小眼球の会。(詳しくは、サポートグループのページをご覧ください。) アイキャンの結成は1993年。フィラデルフィア市に時を同じくして生まれた無眼球の子供達3人の家族達と、アインシュタイン・メディカル・センターで遺伝子の研究をしているシュナイダー先生が毎週の様に集まって、この子供達の為に出来ないかとサポートグループが出来上がったのでした。ボードメンバーは現在も親のボランティアで、シュナイダー先生の下につのるスタッフが協力してくれています。 2年に一度、春休みの前後に開かれる会議には、今年も西はカリフォルニア州、北はカナダ、そして海外からはスペインからも無眼球・小眼球の子供を持つ家族が参加していました。 さて、娘にとっても待ちに待ったアイキャンのミーティング。同じ盲学校のLちゃんの家族と一緒におちあって、明け方4時に町を出発。ハイウェーを飛ばして1時間の飛行場へと向かいました。 温暖な気候のフロリダに来てから、分厚いコートなど殆ど必要としない生活に、 「フィラデルフィアは寒いから、厚手のコートを忘れないように。」とのシュナイダー先生のアドバイスに、 「さて、どうしたものか、、」と出発の前日に、いつもの様に、一家でばたばたと荷造りが始まりました。寒いといけないからと、あれもこれもと思った以上にふくらんだ荷物を目の前に、あわてて、ショッピングセンターに車を飛ばして小型のスーツケースまで買いに行く始末。 我家の定番はもっぱら車での旅。主人の大型トラックに、テント用品やら衣料に食料と、なにからなにまで詰め込んで出発と言うわけには行かないのが、飛行機の旅であります。 無事に飛行場に着いて、チェックインカウンターに並んで、びっくり。 クレジットカードを差し込むだけで身分証明が出来、チケットを発行してくれる機械が並んでいるではありませんか。 随分と便利になったものだと、思わず関心する私と主人。 お父さんがパイロットという職業柄、とても旅なれているLちゃん一家とは対照的に、私たちの出で立ちは、どう見ても笑えてしまうのでありました。 上の娘は、とりあえずギャップ黒のダウンジャケットに身をつつみ、なかなかのおしゃれさんでありましたが、、、 私はと言えば、足腰が寒いといけないと、、xx年前のゴールドのトレンチコートに身をつつみ、 夫を見れば、 軍服用の、裏地のついた黒のトレンチコートに首にはマフラー、 ファイヤーファイターのロゴの入った紺色のニットのキャップに 黒のサングラスと言う どう見ても、テロリストに間違えられそうな出で立ちであります。 寒がりの次女は、我が家で一番センスのある長女の提案で、 私が昔来ていた、ほわほわの襟のついた、つぎはぎデザインの毛皮のコートを着て、背中にはバイオリンのケースを背負って、片手には白杖と言う姿です。 実は、この毛皮のコート。背負ったりおろしたりを繰り返したバイオリンケースの肩紐にひっぱられて、フィラデルフィアの空港に着いた時には、片そでがバリッとはがれてしまい、帰り道では余計なお荷物になってしまったのであります。 流行は繰り返すと言えども、 やっぱり古着は古着でしかありません。 風の冷たいフィラデルフィアに着いて、 先ずは次女のコート探しとなったのは、言うまでもありません。 フィラデルフィア空港から、ミーティング会場で、宿泊先でもあるホテルまではタクシーで約20分。ホテルはかの有名な彫刻家ロダンの作品を集めたロダン美術館の真裏にあり、ジェファーソン通りの外れには、フィラデルフィア国際美術館がその美しいたたずまいを見せていました。 ホテルのロビーに入ると、そこには懐かしい水島ニ三郎先生(義眼工房・みずしま)の笑顔が待ち受けていました。私たちの参加を知って、日本から急遽、予定返上で参加されたのでした。 水島ニ三郎先生の無眼球・小眼球の子供達の治療に対する情熱とその行動力には頭がさがります。 今回も、自分の行っている無眼球の子供達の義眼治療がベストであるかどうか、又何かあらたに改良できる点が無いかどうか、アメリカの義眼師さんのやり方や、他の子供達の治療方法を見て、学びたいとのお話でした。 午前中は、水島先生のお供で、フィラデルフィア市でお父さんの代から義眼を作っていらっしゃる、ルグラン氏ご兄弟の診療所を見学させていただきました。 ルグランさんと水島先生は、アメリカ義眼師協会の会員同士、以前からのお知り会いで、今回も水島先生はご自分の使っている子供用コンフォーマーや器具を持参され、ルグランさんと熱心に技術交換をされました。 器用な水島先生の手作りのコンフォーマーや器具に 「これはいい、これは便利だ。」とニコニコのルグランさん。 アメリカでは透明なコンフォーマーを使っていますが、特に 水島先生が見せた、黒い玉の(黒目に見える)コンファオーマーに注目。 又、乾燥眼の用の薬は何か良いものが無いかとの水島先生の質問に、 「アメリカではこれを使っているよ。」と サンプルを渡すルグランさん。 言葉のハンディがあっても、こと義眼の事になると 私がどう通訳したものかと考えている間に、 身振り手振りを入れて、お互いの意思の疎通をはかるお二人に、 「ああ、こうやって、海を越えて、無眼球・小眼球の子供達の為に、 技術交換をする姿って、ありがたいな、、、」と心が熱くなりました。 「日本のドクターは、入る患者さんには、一ヶ月で直径13ミリぐらいのコンフォーマーをいれて広げます。」と言う水島先生の説明。 「アメリカではどのようにしていますか?」との質問に、ルグランさんは答えます。 「僕のところでは、大体1年で13ミリぐらいのコンフォーマーです。大体、1歳ぐらいまでには、義眼にします。 子供によって様様ですが、、生まれてから最初の2ヶ月ぐらいの間は、2週間ごとに診察して、徐々にコンフォーマーを大きくして行きますね。それから診察の間隔を開けて行きます。ダラスのドクターと義眼師さんが開発した方法です。 内部の粘膜を無理に広げた場合、内部の粘膜が正常に育てば問題は無いのですが、子供が4-5歳になった時に、まぶたや粘膜がうまく機能しない事があるといけないので、ゆっくりと無理なく広げる方法が、現在の所、私は良いと思うのです。」 「眼球はとてもやわらかいソフトなもので、その眼球が成長する事で、眼の回りの骨も成長する。その力は、本当にわずかなものだと思いますよ。 だから、無理やりに大きめなコンフォーマーを押し込んで広げるとよりも、無理の無い大きさを入れて、骨を刺激してあげる、それが私たちのやり方です。だから、粘膜から出血する事もないから、ドクターがやるのでは無く、義眼師が入れます。」 というルグランさんの説明に、なるほど、とうなずく水島先生。 確かに、こういった情報交換は大切です。 翌日、無眼球・小眼球の子供の治療を手がけている フィラデルフィア子供病院のドクターカトウィッズが発表していましたが、 「これがベストと言う治療法はありません。 その子供によって同じ治療でも反応の仕方は様様です。 だから、その子供にあった方法を見つけ、 そして、家族ができる事を、やっていくことです。 大切な事は、ご家族の皆さん、 ああしてあげれば良かった、、こうしていれば、、と 決して過ぎた事を悔やんだりしてはいけまんよ。 自分を責めてはいけません。 これから先、何ができるかを考えて行きましょう。」 午後からは、ルグランさんと一緒に、子供病院での無眼球・小眼球の子供達の診察に向かう水島先生と分かれて、私たちはLちゃん一家と一緒に、トロリーバスに乗り込んで、ダウンタウンの観光へと出掛けました。 丁度、アメリカ史を勉強している娘にとって、独立記念の土地、フィラデルフィアは将に絶好な訪問地です。 続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月27日 13時12分52秒
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