フロリダより、愛を込めて! 全盲の娘の子育て日記。

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2012年05月08日
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この日記に最後に投稿してから、ずいぶんと長い月日がたちました。

ひょっとして、無眼球のミッシェルは今頃、どうしているかな、、?と
ふと思われる方もいるかと思い、この場で、近況をご報告させていただきたく思います。

娘は無事にフロリダ州立盲学校を卒業し、
その後、2年間、アメリカは西海岸のワシントン州にある、
The School of Piano Technology for the Blind という学校で
ピアノ調律と修理の勉強をしました。

昨年の6月末に、優秀な成績で卒業。
夏の間は、アラバマ州のピアノ店で荒修行をさせていただき、
去年の9月からは、地元フロリダでピアノ・テクニシャン(アメリカでの、ピアノ調律師の名称です。)として
ビジネスを始めました。

ドライバー兼アシスタントを務める母としては、
毎日が、さまざまな発見・驚き・冷や汗の日々ですが、
ピアノ調律という情熱を見つけた娘に、

「良くここまで頑張ったね。
これからも、自分の信じた、好きな道をまっすぐに進んでいきなさい。」

と心から祝福の気持ちで一杯です。

いつも感じることは、、、
人生、本当に山あり、谷あり。
しかし、
どんな環境におかれようとも、
努力を続けることの大切さを、
私は娘に教えてもらった気がします。

彼女の人生、これからが新たなスタートです。 
本当に自立できる日が来るまで、
2-3歩後ろから、
これからも、応援していきたいと思います。

娘のビジネスのサイトがあります。ピアノ調律している画面なども入っていますので、
一度、覗いてみてくださいね。
Michelle's Melody Fine Piano Tuning, LLC.
www.michellepianotuning.com

ありがとうございます。 






最終更新日  2012年05月08日 06時10分11秒
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2007年02月28日
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2月も最後の日となりました。
春のような陽気が続いたフロリダの冬も、
そろそろ終わりに近づいている様子。
木々も新緑をつけ始め、
新しい生命の誕生の時です。
昨日は、娘の義眼の調整に
地元の義眼師のデボラさんに会いに行きました。
デボラさんは、元々、歯科のアシスタントを長年続け40歳にして、
義眼師の道を歩もうと、
いとこの義眼師さんに指導をあおぎ、その道に入ったそうです。
確か、6-7年前にこの町に引越し、開業されています。
さて、去年の2度のハイドロジェル・ティシュー・エクスパンダーの手術で
上まぶたと下まぶたの皮膚が伸び、効果はみられたものの、
義眼をつけると、
どうしても、下まぶたの鼻側半分は、皮膚がつられてか、
内側に入ってしまいます。
ドクターとも相談して、次のステップとして
義眼師に義眼の形を変えてもらい、
下まぶたを内側から押して、まつげが外にでるような方法がないか、
相談することなっていました。
余談ですが、ドクターからは、
娘の目の整形の面では、長期的な計画として
将来的に次の3つの手術の可能性を
示していただいています。
1.やや閉じたように見える目の開きを大きくし、より自然な目にする方法: 
上まぶたの筋肉を、まゆげの筋肉につなげる。それにより、まゆげの筋肉を使って、
瞬きをしたり、目を開いたりする事ができる。
2.目と目の距離が離れている事への対策。鼻の側から目の幅を広げる方法: 
鼻の筋に目じりの皮膚を縫い付けて、鼻のほうに皮膚を引っ張る。
(うまく日本語で表現できないのですが、目と目の間を指でつまんだような感じ。)
3.下まぶたを外側に出す方法: 義眼の形を変えても、下まぶたが外側に出ない場合は、下まぶたの内側に、内の中の粘膜をとり移植して、外側に押し出す方法。
勿論、これらは、本人が希望すればの話です。
今までは、
「自分は見えないし、義眼も不快感無く入っているし、
痛い手術はしたくない。」
というのが、本人の正直な気持ちであったようですが、
年頃になり、最近はおしゃれも始めたので、
本人が希望するようであれば、
親としては、手術をしてやりたいと考えています。
さて、義眼師のデボラさん、
娘の緑色の義眼を取り出し、
ちょうど、下まぶたに当たっている義眼の表の部分に、
ワックスで厚みをつけまじめました。
試しに目に入れるたびに、
「アウチ!(痛い)。ざらざらしている。」と
いつものように、素直に気持ちを発すして笑う娘に、
デボラさんも、
「ワックスだから、ちょっと我慢してね。」と優しく声をかけます。
娘は小さい頃から、痛い、怖い、寒いと言った状況になると
大声で文句を言いながらも、
同時にけらけら笑いはじめるという、、、
考えようによっては、とても明るい性格をしているのが幸いです。
何度かワックスをつけても、
「フーム、、、。」と険しい表情のデボラさん。
「ダメだわ、、どうしても内側に入ってしまう、、。」
でも、諦めずに、ワックスの料を変えたり、
つける位置を変えたり、何度か繰りす彼女。
事がうまく進まない場に起こりがちな、
なんともいえない、やるせない雰囲気が立ち込める診察室で、
緊張した空気をほぐすべく、
私達は、たわいもない世間話を始めるのでした。
そんな時、娘がデボラさんにぽつりと話し始めました。
「私は目があったら、どんなに良いかと思うの、、。
義眼もしなくて良いし、、。
それに、目が見えたらとも思う。だって、見えたら何をするにも
もっと楽だと思うから。
いつか目が見える技術が開発されたら、私は絶対に見て見たい。
でもね、、人は、それぞれ魂なんだけど、
生まれる前に、
皆、自分で人生の計画をしてくるんだって。
だから、私は目が見えない体で、この世で修行をしようって
そう決めて来たらしいの。
ママがそう教えてくれたのよ、、。
だから、私は目が見えなくても、頑張る!」
娘の横顔を見つめながら、
私はふと、、
こんなに我慢して頑張って生きている娘の横顔、
なんて美しいんだろう、、、。
もし、下まぶたが外に出なくたって、いいじゃない、、
逞しく、美しい娘がそこにいる。
もう、いいよ。
娘に辛い思いはさせたくない、、。」
と、、何故か、娘の下まぶたに対する
執着のようなものが
すーと薄らいで消えていく、、そんな暖かいやらわかい
気持ちになって来たのでした。
「デボラさん、もし、難しかったら、
無理せずに、
やれるだけやってみて、
とにかく、その厚くする義眼を2-3ヶ月入れてみましょうよ。」
と感謝の気持ちで、彼女に声をかけました。
 と、、話している瞬間。
「お!左の目は、まぶたが外に押し出されてる。これはいけるわ!」
と、右の義眼にも同じような感じで、
ワックスを付け足すデボラさん。
確かに、左目も右目も、まぶたが外に押し出される形で
まつげが外を向いているのです。
瞬きをするたびに、入ったり出たりはしていますが、
これは試してみる価値、大いにあり。
女性3人、心の底からの笑顔が沸き、
キャッキャと話をして、
「では、今日は義眼を預かって形を付け足しておくから、
明日の午後、また来てね。」
といわれて、デボラさんのオフィスを後にしました。
さて、、何をかくそう、、今週は月曜日から
フロリダ州の共通試験の真っ只中。
この共通試験に合格しないと、高校の卒業単位がもらえません。
で、、デボラさんの都合で、
予約が延び延びになっていたので、
これ以上、予約は伸ばしたくなかった母は、
学校を早退になるけれども、デボラさんの都合が良いという
昨日と今日に予約をいれたのでした。
去年のテストの事など、
あまり記憶に残っていない私達は、 
予約をする前に、学校の教頭先生に聞くと、
「あ、、試験は午前中だけだから、午後からの予約なら、
問題ないですよ。」
と許可もいただいたのですが、、、、。
昨日は娘を迎えに行くと、
なんと、午後だと言うのに、
皆、必死でテストを受けている最中。
クラスに入り、先生に白い目でみられながらも、、
土壇場で予約をキャンセルするわけにもいかず、
事情を説明して、
残り時間1時間半という時に、
娘には申し訳ないと思いながら、、
娘を連れ去るようにして予約に向かった私でした。
視覚障害者の場合、テスト時間は
晴眼者の3倍は使ってよい事にはなっているそうで、
娘の場合も、今週一杯はテストに使えるそうです。
しかし、朝の8時から午後の3時半まで、
昼食の休みは40分ぐらいあるにしても、
毎日テストを受け続ける子供達は大変です。
「あ~、テストにはホトホト疲れた、、」とつぶやく娘に、
「よかったね、ママがレスキューに来て、早退できたから。
今日はテストも1時間半早く終われてね。」
なんて、、、予約をいれてしまったから仕方がない、、
何事も前向きに考える事にしています。(笑)
追伸: 改行のやり方が変わったのでしょうか、、
文章の間にが全部つまってしまい、読みずらい点、
お許しください。
だれか、改行のやり方、スペースのいれ方、教えてくださいませ。






最終更新日  2007年02月28日 23時12分09秒
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2007年01月10日
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こんな時の娘は強いもので、
決してあせったり、泣いたりしません。
「目が無く生まれて、いやだ、、。」
と愚痴はこぼれるものの、
後は全て母の私に任せて、
本人はじっと我慢をしています。

クリニックには前日に電話をいれ、
月曜日になったら、ドクターに見てもらうことになっていましたが、
それまで待っている場合ではありません。
すぐにボルスターを止めている糸を切り、
すでにまぶたの皮膚にうまりこんでいる糸を、
そっと取り出して、皮膚を傷つけないように
ボルスターを取りました。

3週間が経ち、大きく膨らんだエクスパンダーは
眼球のごとく、まぶたが半分かぶさる形になって、
目の中にとどまっていますが、
裂けた部分は、痛そうにひっぱられています。

下まぶたはいまでも、外側にでているものの、
こうなると、エクスパンダーは効果を果たすよりも、
裂けた場所をさらに広げるという逆効果に働いているように見えて
仕方がありません。
金魚の目のようになった娘も、まだ痛いと言っています。

そうこう迷っている内に、
勤務を終えて帰ってきた消防士の夫は、
「じゃあ、エクスパンダーも外そうよ。」
私の迷いを断ち切って、結論を出してくれました。

エクスパンダーを縫い付けている糸も
今回は夫が外してくれ、
縫い付けた後は、白っぽくなっているものの、
まぶたはひっぱられる事もなく、
赤みや腫れも、その日の夜には大分ひいてくれました。

主治医の診察は、早くて1週間後との事。
それまでは、無理に義眼を入れず、
裂けた場所には薬を塗っておくことにしました。
下まぶたも、内側に入り込むことが無く、
外側にでています。
上まぶたは大分広がったようで、
義眼をいれない目は、うっすらと二重になっています。
痛みもあまり無いという娘の姿に、
私もまた、
元の平静心にもどることが出来ました。

一週間後のドクターの診察では、
まぶたの小さな裂け目は、また、ちゃんと閉じるからと
ドクターは全然、気にする様子も無く、
私を安心させてくれました。
「大分広がって良かったね。」とのドクターのコメントに、
娘も笑顔を見せています。

前回の「まぶたが裂けた!」の日記を読んで、
ご心配をおかけしたかもしれませんが、
治療を終えて一ヶ月半が過ぎた今、
裂けた部分は、心持赤い点が残るぐらいで、
殆ど解りません。

現在は、今まで使っていた義眼を着用しており、
下まぶたの目じり側の半分は、外側に出ていますが、
鼻側は、鼻の方に皮膚がひっぱられる為か
内側に入りこみがちです。
後は、義眼師の先生の方で、
義眼の下の方に厚みを少しつけて
下まぶたが外側に出てくるように試してみることになりました。

娘との約束どおり、2度の手術で
ハイドロジェル・ティッシュー・エクスパンダーの治療は
おしまいです。
ここまで読まれた皆さんの質問のひとつは、
多分、
「手間とお金と時間をかけてやった甲斐があったかどうか」
だと思います。

私達はやって良かったと思っています。
この治療は、赤ちゃんや小さなお子さんに効果が多いと聞いていますが、
高校生の娘のまぶたにも、それなりの効果が見られました。

無眼球の治療方法は、様々です。
医学の技術が急速に進歩する現代、
これから、どのような治療方法や技術がでてくるか
解りませんが、
「いつか、見える技術が開発されたら、私は見えるようになってみたい。」
と本音をもらす娘にも、
「見ることの選択」が出来る時代がくるのかもしれません。

でも、今は、
見えても、見えなくても、
自らが与えられた環境の中で、
自分らしく輝いて生きて行く事に、
人生の大きな意味があるでしょう。

手術への質問は、私書箱にお送りください。
(終わり)














最終更新日  2007年01月27日 12時40分45秒
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2007年01月09日
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ハイドロジェル・ティシュー・エクスパンダーを使ってのまぶたの治療は、
まぶたが急に拡張する為の痛みと
多分、手術で縫い合わせたところの痛みとで、
娘の場合、最初の2-3日は痛みが大きく、
鎮痛剤を服用します。
そして、朝晩と、まぶたを縫い付けてある部分には、
抗生物質の軟膏をうすく塗ります。

4-5日すると、もう痛みは大分治まり、
1週間目ぐらいからは、今度はかゆみに変わるようです。

ところで、このカタカナ英語の意味ですが、
ハイドロジェルとは、エクスパンダーに使われている素材のことで、
ティシューとはTisue、つまり生物の組織の意味で、
それをエクスパンド、Expand、広げる、
ハイドロジェルを使って、組織を拡張させる治療、
そのような意味になります。

さて、半日がかりで病院に行き、解けた糸を結びなおしてもらったものの、
翌朝、眠っている娘の顔を覗き込むと、なんと!
糸は、また、ほどけてしまっていました。

「こんなにあっさりと解けてしまうのに、
毎朝、授業を休んで病院まで結びなおしに行くわけにもいかないわ、、。
それに、まぶたはしっかりと縫い合わせてあるし、
補強のボルスターの糸がほどけたのだから、、、
このまま、様子をみて、
1週間後の、主治医の先生の診察まで待とう~。」

と母はごちゃごちゃとひとり思いをめぐらせながら、
結論をだしたのです。
結論が出てしまえば、後は、気持ちも楽で、
かなりパンパンに膨れてきた娘のまぶたを
「とっても広がってて、良いみたいだよ~。」
と励まし、学校に送り出しました。

翌週の主治医の診察では、
さらに短くなってしまい、ピンセットではさむのがやっと
の様な片方の糸に、新しく糸を結んでつけたし、
その長くなった糸で輪をつくり、
5ミリ程になった、もう片方の糸を輪の中を通して、
再度、結びなおしてくれました。

まぶたの方は、特に赤みも無く、みやにもなく、
拡張は順調に行っていますが、
残念ながら、この糸は、また、翌朝にはほどけてしまいました。
左目の糸の方は、しっかりとプラスチックのボルスターの上で、
結び目のまま、とどまっていてくれます。
抗生物質の軟膏も、ドクターの指示で、
9日目には使用を止めました。

その後の1週間は、まぶたもかなり拡張し、
特に内側に入り込んでいる下まぶたが、
エクスパンダーのお陰で、しっかりと外側に出てきており、
効果が見られるのは、その苦労が報われ、嬉しさがこみ上げてきます。

サングラスをかけて登校する娘にも、
毎朝「とっても良いよ~。今日も頑張ろうね」と声をかけ励ましました。
治療が順調であることに、彼女も嬉しそうに、
スクールバスに乗り込む後姿も、さっそうとしています。

さて、2週間半が過ぎたころから、急に娘のまぶたが赤みを帯びてきました。
心持ち、腫れてきているようです。

その週は、感謝祭の週間で学校は一週間お休み、
感謝祭当日の木曜日は、クリニックもお休みだし、
まだ、治療は3週間にも達していないので、
抗生剤の軟膏をつけながら、
そのまま、様子を見ることにしました。

私はといえば、木曜日の夜から体調を壊し、
娘の赤みを帯びたまぶたが気になりながらも、
翌日の金曜日は、一日寝てる羽目になりました。
ここ3-4年、風邪もひかず、
病気で寝込んだことも無かったのですが、
まあ、「心配しないで、ゆっくり休め。」
というサインかもしれません。

こういうとき、性格がとっても似ている夫と長女は
(何事もあまり心配をしない、とっても良い性格)
ミッシェルの目の腫れのことにも、これも治療の一部だろう、、
と殆ど気にかける事もなく、
私が寝ている間も、彼らは彼らで
1日読書をしたり、テレビを見たりと、
楽しく楽しく過ごしたようです。

さて、そうこうしいている内に、金曜日の夜、
私が起き上がって来た頃には
娘のまぶたはさらに腫れあがり、
目やにも出て、痛い、痛いと訴えていました。
プラスチックのボルスターはまだ、くっついていますが、
その下から、まぶたを縫い付けた糸が、
だんだんと外れて来て、
まぶたが開きかけて来ています。

週末はクリニックも休みだし、
さて、赤くはれ上がった目を見ながら、
「私が起きていたら、昼間のうちにクリニックに連れて行って
ドクターに相談できたのに、」と自分を責めずにはいられないのが、
私の悪い性格。
素人の私には、その赤い炎症がどの程度、悪いものかの判断はできません。


しかし、悩んでいても仕方が無いので、気をとりなおし、
糸がとれているボルスターの半分を切り取りました。

手術直後に、私は疑問に思っていることを主治医に質問しました。
それは、
「エクスパンダーが膨れて、まぶたが拡張されてきたら、
このボルスターの糸はひっぱられすぎて、、まぶたに問題はありませんか?」
それに対して、ドクターは
「これはまぶたが開かない為の2重の補強で、大丈夫。」との返事。
でも、糸に引っ張られて、
万が一、まぶたが裂けたりすることはないのだろうか、、、
と不安に思いながらも、
とにかく、もうすこし、エクスパンダーに目の中にとどまってもらうことにしました。
いっそのこと、エクスパンダーを取り出して、娘を楽にしてあげたい思いと、
少しでも長く入れておいて、最大の効果を出したいという思いに、
母の心も揺れるのでした。

そして翌朝の土曜日。
いやな予感は的中。ボルスターを止めている糸がひっぱられて、
まぶたの端が、1-2ミリほど、両目とも
3箇所ほど裂けてしまっているです。

ご想像の通り、私は
「昨晩、ボルスターを取ってあげるべきだった!」とさらなる後悔の念に
襲われたのでした。
大体、こんな時の私は、
自責の念にかられて、結構、怒りに心を支配されているので、
娘のまぶたを見つめながら、
「あ~、裂けてるよ~!」などという
痛みを我慢している当事者の娘を
さらに心配させるような言葉を口走っていたに違いありません。

(続く)










最終更新日  2007年01月09日 23時22分35秒
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2007年01月08日
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2007年が始まり、2週間ちょっとのホリデーを楽しんだ後、
今日から、立盲学校は後期の授業が始まりました。
相変わらず、前日までは、長い休みの後の登校に気が重い様子でした。

しかし、今朝は気持ちも軽やかそうに、
スクールバスに乗り込んで行きました。
この冬休みのゆとりの時間の中で、
娘も、またエネルギーと勇気の充電が出来たようです。

さて、今日は昨年の末に受けた、ハイドロジェル・ティシュー・エクスパンダー
の2度目の治療のご報告です。

夏の手術で、特に下まぶたに効果が見られたので、
再度、さらに大きなサイズのエクスパンダーをまぶたの中に入れ、
上まぶたと下まぶたの拡張を試みました。

夏の手術では1.5CCの半球のエクスパンダーを使いましたが、
今回は、このドイツ製のエクスパンダーのアメリカでの代理店をしている
IOP Incの社長さんにお願いして、
娘用にと2.0ccを特注してもらいました。
(ご参考までに、
この治療はアメリカでは認可を受けているので、
普通の手術同様、私達が使っている健康保険では
大半をカバーしてもらえます。)

2度目の手術でもあり、娘も私達も手術前・手術後の手順にも慣れ、
ドクターも、今回はすぐにエクスパンダーが飛び出さないようにと、
目じりを縫いつけた上から、
さらに、ボルスターという、細いストローのような
1.5cmぐらいのプラスチックを両方のまぶたのはじに乗せ、
その中を糸を通して、上まぶたと下まぶたを縫い合わせる
という手法をとってくれました。

手術は月曜日の朝だったので、
エクスパンダーがかなり膨張して痛む2日間は
学校を休み家で休養することにしました。
さて、人間の気持ちはこうもジェットコースターのように
あがりさがりするものかと思うほど、
手術の翌日から、私の心配・苦しみがまた、
始まったのです。

人間、頭では
「毎日、心を静かに、平和な気持ちで暮らしたいものだ。」
と思ってはいても、
実際に、自分や愛する者の身に災難がふりかかったり、
また、計画通りに事が運ばないと、
どうしても、心が乱れるものですね。

今回は、手術の翌日には、右目のボルスターを止めていた糸が、
きれいに解けて、びよ~んと垂れ下がっているではありませんか。
元々、こういう事態にあわてる性格の私は、
「長い準備をした末に、受けた手術。
大きなエクスパンダーを入れた事で、
まぶたがひっぱられすぎて、
すぐにエクスパンダーが出てきたら、元も子もないわ!」
と病院にすぐに電話をいれました。

こんな時素人の考える事は、、、
(こんなことを考えるのは、私ぐらいかもしれませんが、、)

「遠い病院までドライブしていくよりも、
いっそのこと、家にあるスーパーグルーで糸をプラスチックにくっつけてしまおうか、、。」

その事を正直に看護婦さんに相談すると、
「オー!ノー!そんなことしちゃ、だめよ。
他のドクターに見てもらえるから、明日の朝、いらっしゃい。」
とあっさりと否定されてしまいました。

素人目にはどうみても、結びなおす事など不可能としか思えない程の
ほどけた短い糸を見つめ、
「あ、、また、手術をして縫い直しなんていわれたら、どうしようか、、」と
娘の気持ちを考えると意気消沈、
翌朝、学校へ行くのを遅らせて、
渋滞の中、病院へとハイウェーを飛ばしました。

さて、病院に着くと、別なドクターがすぐに診てくれ、
「フム、フム、大丈夫、糸を結びなおしましょう。」と
手術用の先のとがった、ピンセットとはさみを取り出し、
短い糸を上手に操って、糸の結びなおしに取り掛かりました。

両方の糸を持って、普通に結ぶ事が不可能な短い糸です。
私はそのドクターの糸の結び方に、非常に感心しました。

まずは、長めの糸をピンセットでつかみ、
ピンセットを上手にこなして、輪をつくります。
これが、本当に2ミリぐらいしかない小さな輪。
次に、片方のピンセットでその輪をつかみ、
反対側の手で持った、別の細いピンセットをその輪の中をくぐらせて、
もう一方の短い糸をつかみ、ひっこぬき、
輪をくぐらせて、、、つまり、結べちゃうわけです。
最初に輪を作ってくぐらせる所が難関ですが、
その後は、いたって簡単に同じ事を
3度ぐらい繰り返し、
はい出来上がり。

と言っても、痛がってまぶたが動いてしまうミッシェルを相手に、
何度も何度もやり直して、
結ぶ作業は20分ぐらいかかりましたが、
スーパーグルーも使うことなく、
また、再手術をすることもなく、
糸は元通りに結ばれ、
やれやれ、ほっとしたのです。

こんな時、多くの親は、
「いいよ、いいよ、今日も学校やすんじゃえ。」というかもしれませんが、
休めば休むほど、宿題がたまり、
夜中の1時過ぎまで起きて宿題をこなす娘の姿を思うと、
「さあ、よかった、よかった。学校へ行こう!」
病院から学校へ向かいました。

こんな時、一番つらいのは、
遠くまでとライブする母の私では無く、
痛い治療を受けながらも、
「目が無いこと」を多少はうらみながらも、
あまり好きではない学校へ行き、
授業を受ける本人であります。
車の後ろの席に座る、その彼女の口から出る言葉は、愚痴ばかり、、、。

彼女の気持ちを考えながらも、
励ます方の私も、
なかなか止まらない愚痴に
だんだんとイライラしてくるのでした。

気がつくと、道の遥か前方を信号も無いのに
黒い人影が横断しようとしているのです。
ふと我に返り、
「あ、危ないわね、あの人、
信号でも無いのに、のろのろ歩いて渡ろうとして。
渡るなら走って渡って~。」

と思うや否や、、
一瞬にして、通り過ぎたスピード制限の標識と
自分が運転している車のスピードメーターに目をやると、
その人影が、
実は私の車を止めにかかる、
スピード違反を取り締まるポリスの姿であることに
気がついたのです。

時すでに遅し、、
私は道端に誘導され、おまわりさんから
しっかりとスピード違反のチケットを、
生まれて初めて、うけとる羽目になりました。
なにか、大きなミスをとがめられたようで、
いやなものでした。
それは、娘の心にいらついた私の心を
とがめられているようでもありました。

話はそれましたが、母親はついつい子供のことで
頭が一杯になり、注意散漫になるものです。
皆さんも、ハンドルを握っている時は、
くれぐれも、心配事に心をとらわれすぎないように、
ご注意ください。
私も事故にいたらずに、幸いでした。

続く。











最終更新日  2007年01月27日 12時38分55秒
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2006年10月17日
カテゴリ:カテゴリ未分類
大分、朝晩涼しく、秋の気配を感じつつあるフロリダです。
でも、まだまだ、冷房しています。

さて、今年の夏休みに受けた、
ハイドロジェル・ティシュー・エクスパンダーを使った治療の話を、
「次女の歩み」のページで
「16歳の夏の手術1,2,3」として紹介させていただきました。

私も素人ですから、
あまり、技術的な詳しい事には触れていませんが、
特に無眼球の赤ちゃんには効果がると言われている治療ですので、
日本ではまだ、無認可だそうですが、
なにか参考にと思い、紹介させていただきます。

確かに、全身麻酔の手術と
何度かに渡る手術、
そして、長い治療の間のケアーと
勿論、経済的な負担もと
子供や家族への負担も大きいかとは思いますが、
娘が生まれた頃と比べても、
これだけ、技術も進歩して、
治療のやり方でも、より効果的な方法が生まれ、
選択枠が増えた事、嬉しい限りです。











最終更新日  2007年01月27日 12時36分33秒
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2006年09月21日
カテゴリ:カテゴリ未分類
8月上旬に始まった新学期も、一ヶ月半が過ぎ、
生徒達もそれぞれのペースが出来てきた様子。

娘の新学期は、
新しいクラスの授業に慣れることと
水泳部の活動で、毎年忙しい。
さらには、毎年、様々な団体・個人から寄せられる寄付金で
ここ3-4年にわたり、
フロリダ盲学校では視覚障害者用の最新のコンピューター技術の導入に力を入れてくれるのがおってもありがたい。
そこで、娘も学校から、スクリーンリーダーの付いたノートブックコンピューターと
Braille&Speakという、点字入力でノートが取れる
大変便利な機械、
そして、新たにCDにコピーされた分厚い教科書を読み上げてくれる
テレックスと言うCDプレーヤーを新学期になるおt貸し出してもらい、
社会の一員となって活躍するべく、
効率良く情報を得て、勉強する方法を訓練中なので、
なかなかややこしく、全てにおいて、習慣ずけるまでが
見ていても大変そうだ。

だから、2ヶ月半ののんびりとした夏休みにくらべ、
新学期は、親子ともども、180度回転の多忙な生活ペースに戻るのに
ちょっと時間がかかる。

フロリダの一般的な家庭の親から見たら、
我が家はかなり、子供に対して、あれこれと干渉も多く、
彼女の生活態度に対しても、かなり厳しいかもしれない。
でも、後、3年か4年で高校を卒業する時には、
自立できるようにしてやりたいと思う、
これも親心である。

高校の間に、なるべく多くの経験をさせてやりたいし、
そして、それと同時に、親が支えてきた
多くのつっかえ棒を、一本ずつ、外していけたらと思っている。
今までは、あれをやったらどう?これをやったどう?
と親が選んでやらせていたことも多かったが、
今は、親としては、弱気になる彼女を勇気づけるぐらいで、
後は、自分に選択させるようにしている。

考えてみたら、もう、16歳である。
目が見えないこと、
末っ子であること、
ついつい、親が手を出してしまうので要注意。

失敗しようが、遠回りをしようが、
目が見えないと言っても、
いずれは自分の足と白杖で進んでいかねばならないと
親も本人も解っている。

あまり先の事を心配して、
あせっても仕方が無い。
だから、今日出来る事、
今やるべき事、
それをひとつひとつクリヤーしていく
そんな習慣がついてくれたらと、

水泳部の練習に疲れて、朝起きるとボーとしている娘に
「貴方なら、出来る!」と気合をいれて、
今日も送り出し、
感謝の1日を始めた。
















最終更新日  2007年01月27日 12時35分39秒
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2006年08月15日
カテゴリ:カテゴリ未分類
前回の日記を書いてから、本格的な猛暑が始まり、
今日は8月15日。
こころフロリダでは先週から新学期が始まり、
まだまだ続く暑さの中、子供達もだるい体をひきずりながら登校しています。

この夏も色々な学びがありました。
大きな収穫は、親も子供も、
娘の自立へと焦点をしぼり、
あえて、心を鬼にして、
一人でやる、
ひとりでやらせるモードに
切り替えたことだと思います。

そのきっかけは、5月末に参加した
National Federation for the Blind
会議で、スピーカーとして講演をしてくださった
ニュージャージー州に住む、お母さんと全盲の娘さんとの出会いでした。

この娘さんは未熟児網膜症で
多少、光は感じるようですが、
生まれつきの全盲だそうです。

幼稚園の時から普通の公立に通い、
現在は大学に進学しルームメートと二人の寮生活をしながら
福祉のカウンセラーになる為の勉強しているそうです。

そのお母さんからのメッセージは、
「まず、自分の子供の障碍が何かをいち早く見つけ、
そして、ではそこから何がその子にベストな訓練・教育かを探していく事。」

また、育てていく過程でも、
「もし、その子の目が見えたとしたら、その子の障碍が無いとしたら、
その子は一体、何をやりたいか、何が好きか、その子の性格も考えてあげ、
そちらの方面からも、可能性を見つけてあげること。」

そして、社会の中で、(この場合、メインストリームをさしていた)
成功していくには、
「なるべく、自立させること。
なるべく、何でも自分で出来るように親も学校も、
子供を指導していくこと。
小学校ぐらいまでは、補助の先生についてもらっていても、
中学になったら、補助の先生を放していくこと。
中学・高校になって、クラスメートに頼ることが少なければ少ないほど、
つまりクラスメートが助けてくれなくても、
ひとりで学校生活を送ることができれば、
クラスメートのお荷物にもならずに、
良い友達関係も作れる。

現在の多忙な日々のなかで、親がやってあげた方が、
周りの人間がやってあげた方が、よほど早い事が多く
親にとっても、スムーズで楽だけど、
でも、そこでじっと我慢。忍耐です。
時間がかかっても、一人でやらせなさい。
そして、毎朝、毎朝、
今日もなにか少しでも一人で出来る事を増やしてあげよう
と、親は自分に言い聞かせ、努力する事です。」

この3点が、私の心に大きく響いた言葉です。
確かにこの娘さんは、利発で優秀な生徒さんだと思うのですが、
子供それぞれ、障碍も違い、
出来る範囲に個人差は沢山あっても、
以上の3点は、資格障碍児を育てる親として、
学ぶ点が大きいと思いました。

私が狭い会議室から、娘が椅子にぶつからないようにと
彼女の手を引いて、ドアの方へと導こうとすると、
すかさず、そのお母さんが
「そうやって、何でも、手を貸さないことよ」
と注意し、ニコッと笑ってくれました。

そうなんですよね、、
知らず、知らずの内に、家の外では
彼女の手を引くのがあたりまえ。
特に、車社会のフロリダの町で、
駐車場からショッピングセンターの中へ、
または、レストランの入り口へ、、
建物の中でも、
目的の場所へ、
そして椅子が並んだ部屋の中でと、、。

とくに早歩きでせっかちな私は、
いつも彼女のサイト・ガイドとなり、
娘は娘で、私に頼り切っていたのです。

その娘さんを見いていると、
ホテルの周辺の移動でも、白杖を片手に
どんどん進んで行きます。
確かに、人に頼らずに自分で歩く事で、
体の五感、六感が磨かれるのではないでしょうか、、。

「失敗したな、、、。もっと、早くから、
心して、手を貸さずに
一人で出来るように育てるべきだったな、、。」
と後悔の念にかられている私の話を聞きながら、

「いいのよ、いいのよ。今日からがまた、
新しいスタートでしょ?」
と笑顔で励ましてくれたお母さん。

高校生になった娘と母。
そう、今日からまた、スタートです。

*  *  *

その会議の会場となったホテルでは、
あちらでも、こちらでも、多くの視覚障害者の方々が、
サイト・ガイドに頼ることなく、、、

白杖を片手に、
また、盲導犬と一緒に、
行き止まりの壁にぶつかりながらも、
人にぶつかりそうになりながらも、
わが道をしっかりと進んでいました。

盲学校という安全で、設備も整った
天国のような環境にいると、
盲児にとって良い環境が当たり前の生活になりがちですが、

いずれ巣立って行く社会でも
親元を放れてやっていけるように、
この夏から心して、自分でやれること、やることを
増やそう!と心に誓った親子です。

「どうでも良くなる瞬間」
という表現は、あまり好きではないのですが、、

いつかは子供に家を出て、
自立してもらいたいと願う親心、
その自立の道へは、障碍があろうがなかろうが、
親の方にも、この「どうでも良くなる気持ち」
が多少なりとも必要ではあると思うのです。

前学期、チェスクラブに入って毎朝のように
授業が始まる前の練習に参加していた我が娘。

チェスの日は、私が送っていったので、
いつものスクールバス降り場ではなく、
高校の校舎の近くの駐車場に車を止め、
そこから、150メートルぐらいを最初は左に曲がり、
次でまた、ちょっと左に曲がり、
そしてT字路に来たら、右に曲がると、
最初のドアが、チェスクラブの集まりのある建物。

と何度も何度も、来る日も来る日も
一緒に歩いて練習を重ね、、
正直なところ、私の忍耐にも限界が来た頃に、、

「もう、ひとりで行ってごらん、何度も練習したんだから、大丈夫だよ。」
と励ましたような、、

「これから、ひとりで行ってごらん。もう、このぐらい出来てあたりまえだよ、難しくないんだから。」
と冷たく言い放ってしまったか、、
記憶にないのですが、、、

ある朝、私は、彼女を降ろして、一人で行かせたのです。
いくらなんでも、もう覚えて当然、と勝手に決めた私は、
後ろ姿を暫く見送ってから、
車でその場を走り去ったのですが、、
さて、裏門を出る前に、遠くに見えた娘は、
最後のT字路で躊躇したあげく、
右へ行く所を、
左の方へとさっそうと歩いていってしまったのです。

以前の私だったら、
「あ、間違った、教えなきゃ、迷子になる。クラブに遅刻しちゃ悪い。」と
多分、車をユーターンさせて、汗をかきながら走って
いとしい娘をつかまえて、
ちゃんと、
部屋の前まで送り届けていたでしょうが、、

「もう、いい加減にせい!
私のやるべき事はやった。
自分で、間違ったと気がついたら、
誰かに聞いて、もどるだろうし、
広い校舎と行っても、フェンスで囲まれているから、
迷子になったって、キャンパスポリスに探してもらえる。」

と、正直、もうどうにでもなれ、
迷子になって遅れたら、それも自分の責任。
何度も練習しても、親が一緒だからこそ、
知らず知らずのうちに頼りにして、
自分の体で覚えないのかもしれません。
自分の力で考えようとしないのかもしれない。

後で、盲学校の先生に、その時の気持ちをこぼすと、
「お母さん、そうだよ、そうだよ。
もういい加減にしろって親が思って子供を突き放すから、
子供は自立の道を勧めるんだよ。」

と、、子供を置き去りにしてちょっと後ろめたい気持ちでいた私は、
その先生の一言に、
なぜか、すがすがしい気持ちになれたのでした。

そして、娘も何事も無かったかのように、
「今日は楽しかったよ~」と帰って来ました。










最終更新日  2007年01月27日 12時34分19秒
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2006年05月11日
カテゴリ:カテゴリ未分類
ゆうさん、書き込みありがとうございます。
と、お返事を書いてアップしたのですが、
書き込み欄に出てきませんね~~。
どうした訳か、、。

まあ、いいか。
と年とともに、何事にも、段々と執着心が消えて行く昨今です。
この執着心が消えていく感じ、、
楽ですね。
「え?言葉を返せば、めんどうくさいんじゃないの?」
という誰からの声が聞こえてきそう、、。

先日、上の娘の話を書きましたが、
下の娘の頑張りもなかなかのもの。
しかし、頑張りすぎて、毎年5月ごろになると、
フロリダ流5月病らしき症状が出てくるのです。

私の言うフロリダ式5月病は、
気候も段々と暑くなり、
長い長い夏休みを目前として、
いわゆる、あと、一息のところで、
もう、ぷっつんしそうなぐらい
心身ともに疲れてくる状態です。

そうなると、毎日出てくる言葉が、
「夏休みが待てない、、。」
「学校の先生はどうしてこんなに宿題を出すんだろう、、。」
「宿題を出す先生は嫌いだ、、。」
と否定的な言葉が増えて来て、
親はそれを毎日、聞かされるようになる次第。

でも、今年は大分成長した精か、
フロリダ流5月病らしき症状も
殆どみられず、
本人、毎日、家に帰り夕食をすませると、
もくもくと一人で宿題をこなしています。

この弱音をはかずに、もくもくと頑張る姿には、
ここまで、良く大きくなってくれたものだと、
本当に、後ろから抱きかかえてあげたいぐらい胸を打たれるのですが、
(また、親ばかですね~~)

しかし、もくもく一人でが、気がつくと夜中の12時を回ったりして、
そうすると翌朝起きるのが、もう大変。
そこで母は、ついつい
「宿題やるのに、何時間かけてるの、、。早くしなさい!」
ともくもく頑張り続ける娘に叫んでいたりと、、

ひょっとして、フロリダ流5月病に火をつけているのは、
なんて事無い、この私だったのかもしれません、、、、。
ごめんね、、我が娘よ。

「どうでも良くなる瞬間」のお話は、この次。






最終更新日  2007年01月27日 12時31分31秒
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2006年05月09日
カテゴリ:カテゴリ未分類
風が涼しく、すがすがしい春もあっという間に走りすぎ、
フロリダには、日中気温が30度に上る日々がやってきました。

日本にいる頃は、春と言えば、
「暖かい風の吹く春」、と言うの一番の表現だと思っていましたが、
蒸し暑い夏が半年以上も続くフロリダに住み慣れると、
春は、
「涼しく、すがすがしい季節」と言うのが
ぴったりだと感じるのは、私だけではないようです。

日本では新学期を向かえ、新緑の美しい、そして五月晴れの5月。
こちらは、長い夏休みが目前と言ったところです。
娘の盲学校も今月末から、2ヶ月半の夏休み。

昨年の8月に、州立大学に進学した長女も、
めでたくフレッシュマン・イヤーを
優秀な成績で終え、
(すみませんね、、。アメリカ人から学んだ事。
他人の前で、自分の子供の良い点を
沢山誉めてあげる。、、、
しかし、日本の人には
親ばか、自慢話に聞こえてしまう事もある、、)
大学の寮から戻って来ました。

長女が高校生の時は、
ほんの少しの事で、よく親子の言い争いをしたものです。

よくある話でしょ?
何かにつけて、娘の行動が気になり、
ついつい、親として意見を言いたくなる母。

親離れの過程で、まだ、自立は出来ていないのだけど、
親からうるさく意見される事を
非常にいやがるティーンエージャーの娘。

主人にいわせると、
私と長女の会話は、
姉妹喧嘩のようだったそうです。

そんな娘も、家を離れ、大学での寮生活を始め、
一回りも、二回りも大きくなって帰って来ました。

なかなかこ離れ出来ずに苦しかった私も、
程よい距離を置いた1年を経て、
娘の行動があまりきにならなくなり、
一回り大きな愛で、見守れるようになったのかもしれません。

決して娘を信じていなかった訳ではないのですが、、
なんていうかな、、
まだまだ、潜在意識の中に、娘は自分の所有物という気持ちがあり、
「貴方をこんなに愛してる、それも人生経験も貴方より遥かに多いママが
こんなに貴方のことを考えてのことなのだから、
親の意見を聞きなさい!」

まるで、娘を自分の思い通りに動かそうと、あがいていた自分がいました。

家族を自分の価値観にしたがって、
自分の思い通りにしたいって、
これは、「奪う愛」と言うのだそうです。

久しぶりに我が家に帰って来た娘。
大好きな読書にふけったり、
妹の宿題を観てやったり、、

こんな素敵なママがいて、
家族がいて、家庭があって、とても幸せ!と
先月の私の誕生日にくれた
カードのメッセージ。

あれあれ、また、親ばかが始まりそう。
これから、もっともっと大きな愛の思いで、
娘を見守って行こうと思いました。






最終更新日  2007年01月27日 12時30分27秒
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