ひとつの詩との出会い・・・
『きいてください、看護婦さん』 《ルース=ジョンストン》ひもじくても、わたしは、自分で食事ができません。あなたは、手のとどかぬ床頭台の上に、わたしのお盆を置いたま、去りました。その上、看護のカンファレンスで、わたしの栄養不足を、議論したのです。のどがからからで、困っていました。でも、あなたは忘れていました。付き添いさんに頼んで、水差しをみたしておくことを。あとで、あなたは記録につけました。わたしが流動食を拒んでいますと。わたしは、さびしくて、こわいのです。でも、あなたは、わたしをひとりぼっちにして、さりました。わたしが、とても協力的で、まったくなにも尋ねないものだから。わたしは、お金に困っていました。あなたのこころのなかで、わたしは、厄介ものになりました。わたしは、一件の看護的問題だったのです。あなたが議論したのは、わたしの病気の理論的根拠だったのです。そして、わたしをみようとさえなさらずに。わたしは、死にそうだと思われていました。わたしの耳が聞こえないと思って、あなたはしゃべりました。今晩のデートの前に美容院を予約したので、勤務のあいだに、死んでほしくない、と。あなたは、教育があり、立派にはなし、純白のピンとした白衣をまとって、ほんとうにきちんとしてます。わたしが話すと、聞いてくださるようですが、耳を傾けてはいないのです。助けてください。わたしにおきていることを、心配してください。わたしは、疲れきって、さびしくて、ほんとうにこわいのです。話しかけてください。手を差し伸べて、わたしの手をとってください。わたしにおきていることを、あなたにも、大切な問題にしてください。どうか、きいてください。看護婦さん。 《American Journai of Nursing,1971.2月号》この詩を読んで、私の中の看護観、私の看護の目的ってものが見えた。患者の病気を治すのはDrです。でも、患者の心の病気を治すのは、私たち看護師の役目だと思ってる。そう思って20年看護をしてきた。ひとりひとり環境が違い、病気も違う。でもその人の一番近い位置に常に居てあげたい…と、私はずっと思って、そう看護してきた。今現在働いているのは施設…その中で、おかれている看護師の役割とは。私はまだはっきりそれを認識できず、さまよっているような気がする。私は、この人たちのどこの位置で居ればいいのか、探している。こんな私は、この人たちにとって、もっとも適した看護は出来ない。頑張って、私の居るべき位置を見つけて、ひとりひとりの手を握ってあげたいと 思ってる。それまでに、くじけちゃったらどうしようw