深津おじさんの世界
横浜のレク界で、ものすごい影響力を持っていた深津おじさんが復活した。能の世界で言えば、世阿弥が光臨したようなすごいことだ。横浜市レクリーダー協議会(RLY)の例会でのこと。「レクの原点を見直す例会シリーズ」という企画だ。僕自身も、RLYを自分と同一視できるぐらいに一生懸命活動していた時代があった。横浜320万市民(当時)へのレク運動の展開の拠点だった。そのリーダーがおじさんだった。おじさんというのは、彼のニックネームだ。僕らの仲間に彼の甥がいて、その甥が「おじさん」と呼んでいたから、僕らの仲間はみんなおじさんと呼ぶようになった。でも今は、引退してからちょうど10年、RLYという響きそのものが懐かしい年代になった。まだ続いていたんだ・・・15年ぶりくらいのおじさんのレクソング。とっても面白い、とにかく楽しい。あっという間の2時間だった。ああ昔、こうだったなと懐かしかった。この楽しさに、多くの若者が巻き込まれていったのだ。でも違和感も感じたのだ。それは、20数年の歳月の中、お互いに成長した変化だと思う。まず感じたのは、楽しさ面白さが自分から湧き出てくるものでないことだ。おじさんが面白い。それも歌よりも喋りが面白い。レクソングという道具を使った漫談を聞いているような面白さだ。それは、レクソング本来の楽しさ面白さもちょっとあるけれど、むしろおじさんのキャラクターによる面白さだと思われる。だから、講師と受講生という関係が生まれ、受講生はやっぱり受身なのだ。与えられた楽しさなのだ。次に感じたのは(本当は一番最初に楽譜をもらったときに思ったのだが)、オリジナル曲ではないことだ。一部のレクソングの世界はそれでもOKだが、二部のメッセージソングはやっぱりオリジナルでしょう。少なくとも1曲は。創ること、創り続けること、これはこだわりたいところだ。レクリエーションだから。Re-create 再創造だから。もち味、個性を発揮するところだから。最後に、♪友よ光をありがとう♪を使った。ちなみにYSRSでは、かなり深い感動を分かち合うときにしか使えない歌だ。一人一人と目と目を合わせて踊る。今この人と共にいる感動を共有しあえる手話付きの歌だ。でもおじさんは、サラッと使った。えっ!?なんで?・・・そんな、と思った。おじさんがくれた今回の案内状を読んで思ったことがある、おじさんが学校レクリエーションの重要性を叫んだとき、集団遊びの必要性を感じていたんだと知った。僕の学校レクリエーションのスタートは、「レクで人が変わるなら、レクで学校も変わるはずだ。」というところからだった。極端に言うと、「遊びを提供する」学校レクと「先生や学校を変えていこうという」学校レクとの違いだったんだ。おじさんは学校レクからRLY、市レク協会へとステージを変えていった。僕も一緒についていったし、「もう学校レクは人に任せてレク協の仕事に絞ったほうがいい。」と何度も言われたが、40歳になるのを機会に学校レク一本に絞った。その違いがここにあったんだと腑に落ちた。レク指導の形一つをとってもそういうことが顕れてくるのなのだなあと思った。おじさんのレクソングは、自分を振り返る良いきっかけを作ってくれた。「守・破・離」という言葉を教えてくれたのもおじさんだ。レクだけじゃない。バレー部の指導の仕方から、学級指導、行事の作り方、先生としてのあり方まで全部教わってきた。案内文の中に「深津チルドレン」というくだりがあった。誰だ「深津チルドレン」と考えたとき、「ア、なんだ、俺だ。しかも一番弟子かもしれない。」と思ったのも事実だ。何よりもYRSR生みの親だ。おじさんの存在なくしては、僕の存在もありえなかったと思うと、本当に感謝の気持ちが湧き上がってくる。本当にありがたいことだ。しばらく離れていたおじさん。またなにか、コラボできるといいなと思った。PS:おじさんの光臨ということで、昔懐かしいメンバーにたくさん再会できたこともとってもうれしかった。我が家は、家族4人で参加した。