メンテナンス前のTOP(自由欄)1
メンテナンス前のTOP(自由欄)1震災と国分町震災後は、すぐに営業再開していた様子。ちなみに、震災バブルの体感はやはり昨年の5月中旬から、6ケ月とのことで、すでに震災バブルは過ぎたとの評。もちろん、3月の入れ替えによって、どうなるかはわからないし、復興庁を目指した予算獲得のための仙台への支店進出や、パンダの見返りとしての農学部のところへの中国総領事館によってどうなるかはわからないが、ここらへんを取材すると、また大変なことにまきこまれそうなので、やめようかとも思ってはいる。(中国マフィアとかの話を梅原前市長が言っているから)●「震災バブル」マスコミの報道と現実と今回の震災にからめて、国分町は「震災バブル」というタイトルとともに、数回マスコミにとりあげられている。正直記事を見ていると、おそらくはネットがニュースソースと感じることが多い。そして、ニュースであるはずなのに、ネタが古い。古いものをなぞって、取材しているから、写真があり証言もあるけど、俯瞰した国分町からみるとまったく古い真実、つまり、うその「今」がマスコミに掲載されてほどいる。それほどに、今の国分町は短期間に変動しているのである。仙台の観光資源は「牛たん」だから、その情報はネットで拾って、現地で写真を数枚撮影してくればいいや、というようなものではないのだ。 たしかに、首を突っ込みすぎて、自分みたいな目に合うことになるかもしれないのだけど震災バブルと転機点●国分町、風俗業界の 震災バブルは2重構造になっている国分町、風俗業界の 震災バブルは2重構造になっているつまり、大手と零細だ。大手は金にものを言わせて(というかもともと地元の資本ではない)一気に20坪以上つまりオオバキのキャバクラをつくりあげた。そのために、仙台にはキャバクラのスタッフとして18歳から23歳くらいの主流キャスト(むかしでいうホステス)がたりなくなり、札幌や東京からキャストを呼んだ店もある。が来ているののはそういう背景だ一方で小さな店は、集客ができずに「震災バブル」はうそだと言っていた。●震災の国分町ではない、「官公庁バブル」(国の震災復興予算を獲得できる 既存の国とのつきあいのある 業者(一部はきちんとした実績、一部は行政天下り人脈、そして長くからの行政の「仲間」)がそれを獲得し、ガテンのひとたちの雇用だけを生んでいる。●官公庁バブルと国分町バブルの関係そこで「給与」としてそれを受けた人たちが「宿」にしている仙台の中心部のホテルがある。あるいは、アパートがある。多くの出張者は単身の男性である。仙台のホテルは旅館なわけではないから、必然食事に出る。そこで、飲食がすこし、潤った。そして、若い子をかかえたキャバクラにくりだすのだ。●なぜ国分町に勝ち組と負け組みが生まれたか<明朗会計>仙台は、怖い一面がある。「一見さん」にたいして、ぼったぐられた?というような料金を出す店が点在する。いや、その手のお店に味方をした言い方をすれば、正価で請求し「戻ってきたらもうけもの」という感じで送り出してしまうのだ。つまり、一見さんにお徳感はないのだ。これは「お通し」の話題になるとわかるが、悪気なく「常連になると『お通し』はいいから食事させてというお客さんもいるんですよ」という。一見さんには正価で請求、常連に対しては、特価で出す。それでは、順番は、、、、8000円、、、5000円 となる。必然、最初に安く出して気に入ってもらったら高くても使ってくださいという余力のある大手に客は集まる。<品質>鮮魚の店でいえば、悲しいかな小さな店ほど「はずれ」が多い。仕入れの関係だと思うが、それを省みることなく、出し方にも多くの店に工夫がない。また、小さい店ゆえの不手際も多い。東京から来たひとたちは、一様に「仙台はぬるい」という。たとえば、ランチでまぐろの中落ち丼を出している店がある。表には、10食限定とあるのに、「いま、いくら?」「4食です」「はい、おわりっ」って、問題はそのいいかげんさとともに、それを店の中で大声で言っちゃっているところだ。<総括>概して、一人勝ちしているのは地元資本ではないキャバクラである。男性スタッフは現地採用もいるが、ほとんどが東京、札幌から来ているキャストは仙台、宮城、山形、福島が多い。●スカウトただ、スカウトの会社は県外の大手がきていて、そこがスカウトバックを得ている。スカウトは、午後7時ころから2時ころまではキャッチをやり、自分たちのスカウトしたキャストの配属先を主に客を送り込む。その他の時間は、引き抜きに入り、「いまいくらもらっているか」「うちならば、自きゅはこれこれだけでお、早あげもないし…」などと言って、連絡先を交換する。●キャッチというわけで、1)スカウト兼のキャッチ。それから、2)まったくキャッチだけをビジネスとするグループや個人。3)各店が店頭に出しているキャッチ。4)異質ながら、中国の本番系のキャッチ。荒手だが、5)売春する自らがキャッチする中国人。と6)飲食店のキャッチ7)ガールズバーのおんなのこたちが歩いていたり、店の前に立っていたりのキャッチ7つのキャッチが国分町にあふれている。これらのキャッチの出身地を聞くと、各店がどこから来ているかがわかるが、この1)3)4)5)はほとんど県外者である。つまり、構造的に震災バブルは、この国分町震災バブルに関しては、儲かったお金は県外に流れるようになっている。(これは震災当日の深夜の国分町) 国分町●国分町3000軒を超えるといわれる飲食店がひしめいている。(その数は国分町2丁目と稲荷小路・虎屋横丁で約2,350店。飲食街・歓楽街としての国分町全体で約2,700店。との表記もある)1970年(昭和45年)の住居表示実施にともなう町名変更では国分町は1,2,3丁目となるが、実質上東北最大のナイトスポットとしての国分町は2丁目のことを言う。具体的には、東端が東一番丁、南端が広瀬通、西端が晩翠通、北端が定禅寺通に囲まれたブロックを表現する。これを明確にする意味もあり、3丁目をはさむ、定禅寺通りと広瀬通りの入り口出口に2009年12月10日アーチがつくられた。震災バブル4月には、もう震災ボランティアが国分町には来ていた。仙台の3000軒あるという店の多くをしめる「スナック」「バー」といった、年配のあるいは、30代以上が主力メンバーの店は、震災ボランティアは行かないのだ。ひとつには、そうした店が広告をしていないで、ドアを開け放っていない姿勢にある。逆に、案内所に広告代を出して、来店を促している店(若い女性を(というより、若い子を)揃えたキャバクラ(キャバクラのような風俗営業に類する、セクキャバ、おっぱぶ、ソフトセクキャバも含め、)や、(性風俗は(一部のソープ(プレジデント、千姫、ハートなんとか、なんか和風の名前のとこ、プレイボーイ、マキシム)のような警察の利権によって売春が合法化されているところと、一部の既得権の店舗型ヘルス(VIP,EVE,シルクハット)と、なぜか警察か、、、なぜか警察が手をつけない古くからの日本航空、リアルタイムのホンサロ、そしてぬれよんだ、ぷらうどだ、なんとかだとか点在し新店だけが警察の摘発をうけるピンサロを除き)、、、、)デリヘルだけが性風俗として存在するため、 それらが 震災バブルの直接の受け皿になり、そのおこぼれを周囲の飲食店や、まちがって入ったり、連れて行かれたりのそうした老舗のスナックやバーだけが、潤ったというのが震災バブルの実態になっている。3月は多くの飲み屋は割れたアルコールの臭いもあり開店できなかった。震災バブルの兆候は、震災から1ケ月過ぎ、ガスが復旧した4月初旬の国分町は息をふきかえし(とはいえ、仙台市ではいちばん遅れてガスが復旧した)、キャバクラやスナック、飲み屋、飲食店が営業を再開した。 デリヘルが震災当日から開業し、セクキャバがいち早く営業を再開し、実際、そこに来ていた客は、震災当日から1週間はなじみの客だったが、そこから警官と自衛隊が目立つようになる。4月中旬はこのとき、ホストクラブのオーナーたちは、国分町に起こる震災バブルをすでに感じていた。なぜなら、国分町のホストクラブの主流の客は、若い、そうした職業の女性がほとんんどだからである。(ここらへんは、会社の女社長が客というような東京のスタイルとは違う)そして、ホストクラブの新店を阻止しようと、団結を固めようとしていた時期でもあった。なぜなら、キャバクラの新店をもくろんで東京名古屋大阪が動き出す気配があり、実際5月の連休明けには足を運んできてオオバコをさがしまわったのである。3,4月というのは、あらゆる業種の取材をしていたが、ここでデリヘルの取材をし、自分はここでトラブルにまきこまれるのだが、それは後に書く。