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カテゴリ:鉄道雑記
信越本線(高崎ー横川・篠ノ井ー長野・長野ー新潟) 経緯 1985年11月、県が自民党整備新幹線建設促進特別委と「並行在来線の信越線は廃止しない」ことに決着 1987年12月、JR東日本は「新幹線建設の場合、横川ー軽井沢間は廃止する」と運輸省に報告 これをうけて碓氷郡松井田町は1988年10月16日、町民大会を開いた。「廃止絶対反対」の鉢巻き、「通勤通学者の足を守れ」などのスローガン、「絶対守れ在来線、新幹線は空を行け」と書かれた“むしろ旗”などで気勢をあげた。「新幹線のいけにえはご免だ」「上越新幹線に並行する上越線は廃止されてないのに信越線が廃止されるのは不公平」といった発言が飛び交ったという。 また、鉄建公団から委託された地下水位調査打ち切りなど「新幹線建設への一切の協力拒否」を確認し、地元選出の国会議員らが「党派を超えた存続運動を」とぶち上げたと当時の新聞は伝えている。 地元の住民にとって鉄道は大事な足、バスで代替運行するといっても碓氷峠は積雪で閉鎖される事もあるので「足の便は問題ない」(当時の佐藤運輸大臣の見解)とは言えないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年09月17日 16時41分30秒
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