|
カテゴリ:鉄道雑記
碓井峠に鉄道が敷かれた理由 記事のタイトルのほんとうのワケが見えてくるかもしれないので碓井線の歴史を調べてみることにしました。 鉄道建設の始まりは明治2年にまでさかのぼる。明治政府は11月、東京ー京都間を鉄道幹線と決定したが、幹線経路が中山道に決定したのは明治15年である。その後明治19年、政府は碓氷峠の急勾配のため幹線経路を東海道に変更した。(同時に碓井線建設も決定された) そして横川ー軽井沢間の路線の選定に際しては、中尾(碓井峠)・入山峠・和美峠の三案が調査測量された。 ・中尾線は直江津ー東京間の距離が4キロ短縮できる ・中尾線の最長ずいどうは422.5メートル、和美線は1.2キロなので中尾線のほうが工費が節減でき工期も一年半短縮できる ・中尾線は国道に沿っているので建設資材運搬に便利 以上のような理由によって中尾線(碓井峠)のほうが工費が節減できるとして、明治24年アプト式中尾線の採用が決定したということだ。なお、アプト式が採用されたのはドイツで実用化されていたからだという。決定まではずいぶんと時間がかかったが、その後わずか2年と2ヶ月で開通したのである。 参考文献「碓井線物語」(八木富男著) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年09月27日 22時33分37秒
[鉄道雑記] カテゴリの最新記事
|