思いやりの気持ち~三浦春馬から学ぶこと
「人に思いやりをもって接し、 ずっと素直な子でいてほしい」お母さんに言われた通り育った春馬くん。愛の根本は思いやり、という。いつも自分のことよりも、まわりのことを考え、広い視野で将来の子どもたちのことまで考え、自分にできることは何か、と常に考えていた。こんなに素晴らしい青年がいたんだ、ということを、私は今まで知らなかった。容姿の美しさを与えられたのに、それは利用はするけれど、なくてもいい、と考えているかのように、心の美しさを磨いていった人。「みんなが間違いを犯さないわけじゃない。 国力を高めるために、少しだけ戒めるために、 憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を、 国民全員で紡ぎだせないのか」このコメントは当時は知らなかった。でも、この考え方はとても深い。いろいろ考えてしまった。ネット上で、たたくだけたたき、それが真実ではなかったとしても、一度拡散されたこと=事実として扱われ、間違いだったという記事は、めったに拡散されない。たとえ、それが事実であったとしても、間違いを犯した人を非難をすることよりも、その人が立ち直れるような言葉をかけよう、ということを、春馬くんは言いたかったのだろう。実は、私は保護司ということもしている。保護司とは、犯罪や非行をした人の立ち直りを地域で支える民間のボランティア。日本全国各地の各町内にいるはず。地域でお世話になった方に、どうしても引き受けてほしい、と頼まれ、数年前から活動に参加している。誰もが間違いを犯す可能性はある。私だってあるかもしれない。だからこそ、ほんの少しの手助けが、こんな私にでもできるのなら、と引き受けた。私なんかより、よっぽと崇高な精神をもっている春馬くんみたいな人にこそ、いつかサポートしてもらえたらよかったのにな、と思う。疲れて心が弱っていると、思いやりをなくして、ギスギスしてしまう時がある。「なんだよ、このやろ~!」とか、「まったくもう!」とか、心の中で叫んでしまったりして、あとで、春馬くんごめん!と反省する日々。言霊(ことだま)、という言葉があるように、言葉には魂が宿っている。だから、汚い言葉や嫌な言葉は使ってはいけない。わかってる、わかってるんだよ~!でも、時々・・・ごめんなさい。ある時期、職場の同僚の感覚がどうしても受け入れられず、逃げ出してしまったことがあった。どんな人とでも上手くできるのが、私の特技だと思っていたのにショックだった。春馬くんがどこかで言っていた。「その人の感覚が理解できなくても受け入れる。 受け入れようとする努力をすることが大切なんだ」そうだよね。うん、わかる。がんばったんだよ。受け入れようとしたんだ。でも、ダメだった。春馬くんと出会ってからだったら、もう少し努力できたかなぁ。でも、心を壊しそうだから逃げちゃった。逃げる相談をしたら、受け入れてもらえて、逃げた先は居心地のいい場所になった。そういうのもありかな?私がずっと心の指標にしているのは、「寄り添う」という言葉。それができる人になりたい、と今も思っている。できないからこその、なりたい、なのだ。人に相談するということは、自分に置き換えたらわかるけど、白黒をつけてほしいからじゃない。相談することで、自分の考えをまとめ、その考えは間違ってない、と言ってもらいたいんだ。誰しも、自分を受け入れてほしいと願っている。人に寄り添うというのは、そういうこと、かな?誰かに喜んでもらいたい、とか、誰かのために何かをしたい、とか、そういうことは、自分にもかえってくることで、人のために=自分のために、だと思っている。思いやり・・・奇しくも、最新号の”anan"で、佐藤健くんも言っていた。「本当に大事なのは、思いやりをもつことだけ」いつか、いつか、また、春馬くんに会える日がきたら、ほんの少しだけど、自分が誰かのためにできたこと、を、思いやりをもって過ごそうとしてきたこと、を、「よくがんばったね」と言ってもらえるよう、これからも精進していきたいと思います。