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ラジオと映画とちょっとジャジーな日々

ラジオと映画とちょっとジャジーな日々

小沢健二のこと…ふ

とても変な形で小沢健二にはまってしまった私だけれど、
驚いたことに、

ネットで見ると、同じ時に全く同じような状態になった人を
何人かみつけた。

それで、正直「サブリミナル効果」みたいなものでも
使ったのかと疑ってしまったこともあるけれど、

NHKの紅白歌合戦で?
しかも小沢健二のところだけって・・・

それはないだろう。

それが証拠に、その時点で発売されている
すべてのCDを買いあさって聴き始めた私は、

更に、わけのわからない衝動に
突き動かされるばかりだったのだから。

その時の状態は・・・、
こんな例えで、申し訳ないけれど、

「ド根性がえる」のピョン吉が、
ヒロシを引っ張って行く時みたいに、

まだ私の体から出られるはずのない「魂」が、
「これー!これー!」と叫んで、

胸から飛び出し、小沢健二の曲を
追いかけて行こうとするような感じだった。

2.jpg

私は「何?何?」とTシャツに引きずられる
ヒロシの様だった。


やがて、ダイヤルアップ接続みたいな
遅れ遅れの状態で、脳の方へも連絡が来た時、



浮かんだ感覚は 「共鳴」 だった。


共鳴 共鳴 共鳴・・・

「与える」とも、「教える」とも違う。

「伝わる」というのは近いけれど、ちょっと違う。


何かが、元々自分の中にあるのだ。

その何かに「響く」のだと思う。

そして「あぁ、私はそれを知っている」

ということを知るのだった。

でも、そのことは、今までの私にとって、
「バカなこと」、「間違っていること」で、

自分が、そう思っているとしても、
世の中の人々に嘲笑されるに違いないものだった。

だから、「見つかってはいけない」とおびえ、

何重にも箱に入れて、固く縛って、
心の深海へと沈めたはずのもので、

更に、そうしてしまったことすら
忘れていたのだった。

それなのに、それなのに、
小沢健二は、堂々と世間に放っている。

なんということ。

「そんなことあるはずない」と笑われるかもしれないのに、

わかってくれる人など、いないかもしれないのに…。


だから、曲へ込められた

聴く人への絶対的な「信頼」を思うと、

味わったであろう、真っ暗な闇のような「孤独」を思うと、

そして、そこからグッと歯を食いしばって

立ち上がった「決意」を思うと・・・、


例えば「ラブリー」という

一見ハッピーなラブソングにさえ

深い想いをみつけて、

ボロボロと涙がこぼれてしまったりするのだった。


(つづく)



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