このまま…人生を棒に振るのか
自分のピュアであった魂は不純物を取り入れ面影のないものへと変化した。その結果、いわゆる…アパシーのような状態。がんばるための理由、価値がわからなくなってしまった。自分の家庭は母子家庭で、自分と弟と母の3人。親が離婚して引っ越して自分が小学二年生から夜に仕事をして、朝帰ってくる母を迎えていた。幼いため寂しかったときもあったが、一年ほどで慣れ今ではそれも当たり前となった。しかし、自分が高校一年生、弟が中学一年生になり弟のサボリが目立つようになってきた部活は行かなくなり塾にも行かなくなりそして学校もサボるようになった。そして二年経った今、どうなったか。ますます酷くなった。学校に行った振りをして公園で一日潰して下校時刻に帰ってくるらしいどのように一人で公園で数時間も潰せるか疑問ではあるが本人はそう証言している。当然、この二年間親、学校、自分は、言えることはすべて何百回と言ってきた時には手が出る事もあった。だが、こちら側の言い分を押し付けるだけではなく弟の意見も進んで聞いてきた。結局、変えることができなかった。そして自分は最近、新たな考えにたどり着いた『弟は母の頑張っている姿を見たことが無い』これが原因ではないかこの歳になり、母の知り合い(仕事で知り合った人)に飯をご馳走になることがある。その都度、『お母さん頑張っているんだから、お前らもがんばれよ』たびたび言われるこの言葉好きではない。そして、母は微妙に変わった。手伝いを断ったときなど母の仕事の大変さをグチグチ言ってきたり『他の家では、進んでたくさんするのに』『女の子とかやってくれるのに』『こんな優しい母はいない』『小さい時には二つ返事でしてたのに』と皮肉られ 神にでもなったつもりなのかと思ってしまう。母は大変感謝しなければいけない存在なのは、重々わかっている…つもりなのかもしれないがそれに加え、そんなことを言われてしまうと非常に混乱する。さらに最近ではパチンコで稼ぎ、夜をさぼること増えたのでパチプロの方に申し訳ないのですがパチンコでお金を稼いできても流石だね。ぐらいの感情で終わります。最近の母には尊敬の眼差しも無くなってしまったかもしれない。『頑張っている』というオーラが皆無にしか見えない今のこの状態の一つの要因と言えなくもないかもしれない…。話はころっと変わるが自分は、長男として様々な人に期待される。親戚であったり祖母であったり親であったり失望させまいと『兄』として、時には『父もどき』として生活を送ってきた。つまり、自分にとっては『他人のため』であり『自分のため』ではなかった。余りにも周りを意識し過ぎて、自分は何がしたかったのか、何を目的としていたのかわからなくなってしまった。考える時間もない。受験生ではない受験生そんなものになってしまった。ここにそんな事書く暇があれば少しは勉強しろ全部人のせいにするな自分でもそうコメントしてしまいそうこの記事に何を求めているのだろうか同情…か。