厚生省の元・事務次官と家族を襲った犯人だ・・という男が、
各メディアに声明を送り、警視庁に名乗り出ました。
小泉毅という、46歳のその男は、
「元次官とその家族10人前後を殺害する計画だった」
と供述しているらしい。
「子供の頃かわいがっていた犬を、保健所に殺された、そのあだ討ち」
などと、誰が聞いても、納得できない動機を語っているようですが、
背後になにか組織があるかないかも含め、
それは、おいおい、本当のところが、分かってくるのでしょう。
ひとつだけ、見えているものがあるかもしれません。
少し前の秋葉原の事件もそうですが、彼らが持つ、
社会への絶望感、でありましょうか。
昔、社会への怒りや絶望感から犯罪を起こす犯人というのは、
差別を受け続けていたり、極貧であったり、
「そりゃあ、爆発もするかもしれない」と思える境遇があったものですが、
最近のそういう絶望感というのは、なんとも、
『この程度のことで、人生に絶望して、どうする
』
というレベルであるのですよね。
生活は、とりあえず出来る。
パソコン買ったり、ゲームやったり、レンタカー借りる余裕はある。
その気になれば、資格だって取れる。
その気になれば、もっといい暮らしも、人生も、十分に出来る・・
と、そんな人たちなんですよね。
誰かが「怒りの沸点が低くなっている」と語っていましたが、
そうともいえるし、「清貧」という価値観がなくなってしまった・・
ともいえるのかもしれません。
同時に「地道に努力する」忍耐力が、欠けてきている・・ともいえるのかも。
贅沢な生活を送る、一部の人たちの日々が、
マスコミを通して、実に身近に、すぐ手の届くようなところに見えるものだから、
かつ、そういう人たちが、自分と比べ、
格別優れているとは思えないものですから、
私達は「なんで、自分はそういう生活が出来ないのだ
」と
理不尽さを、感じてしまうのでありましょう。
でも、理不尽さを感じながら、自分は努力をしない。
そういう傾向って、世界中にあふれ出しているのではないか・・
なんとも、そんな気がするのでありますが。