アスンシオンを北に上がって300kmぐらいの山地に、
セロ・コラという自然公園があります。
自然なままの環境を保持する公園ではありますが、
ここは、パラグアイの英雄、
フランシスコ・ソラノ・ロペスの終焉の場でもある。
2年前に来た時は、ろくな道もなく、
なんとも整備されていない、荒れ地だったのですが、
いつの間にか、立派な碑も出来、観光用の歩道も出来、
少し観光出来る態勢になってきたかな・・の印象でした。
1864年、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ相手に、
三国同盟戦争(1864-1870)が始まるわけですが、
パラグアイはじりじりと負け、首都アスンシオンも陥落し、
当時の大統領フランシスコ・ソラノ・ロペスは、
兵を率いて、ここまで逃げのびるわけです。
で、ここでブラジルの兵たちに囲まれ、切り殺される。
内臓をかき出し、頭も指も体も、バラバラにするような酷い殺され様で、
一緒にいた兵達も、ことごとく惨殺されたそうです。
この戦争、他国に干渉さていたウルグアイを助けようとしたら、
何故だかウルグアイまで相手方に回って3国と敵対することになった・・
という、まっこと、人がいいというか、私から見るとよく分からない戦争ですが、
結果、パラグアイは国土の4分の1を取り上げられ、
男の数は、10分の1にも減った、と言われています。
この国が、いまでもパッとしないのは、ずっとこの戦争の痛手を
引きずっているから・・といって間違いではない。
ところがそんな負け戦をやらかした大統領がこの国の英雄なんですね。
南米のナポレオンとも言われ、
アスンシオンの一番いい通りは彼の名前が付けられているし、
亡くなった3月1日は「英雄の日」と定められ、
この山奥の終焉の地では、軍による式典が開催されるそうです。
どうして、この大統領が英雄として今でも慕われるのか
一説によると、「自分の命はどうでもいいから、
国民を救って欲しい」と最後に言ったとか・・ですが、
だったら、首都陥落の前に、なんとかすべきでしょ・・と思うし。
結果はともかく、最後の最後まで、前線で戦ったからでしょうか
しかし、大統領のすべき決断というのは、そういうことではないし。
東条英機も、最前線に出て、兵と共に戦死していたら、
今のような国賊扱いをされなかったのでしょうかね。
誰かが「歴史と言うのは、何が語られ、
何が語られないかで、いかようにでもなる」
と言っていましたが、日本の歴史を振り返っても、
確かに・・と納得します。
ところで、このセロ・コラに、前々大統領のルーゴが建てたという、
巨大なモニュメントがあります。
「ルーゴは自分の名前を残したくて、こんなものに無駄なお金を使った」
と悪口言われていますが、
その日付が2012年の3月1日。
その3か月後に、彼は罷免され
大統領の座から引きずり降ろされてしまうわけですが、
この時は、夢にも思っていなかったのでしょうね。
人生なんて、儚いものです。