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カテゴリ:メディアの話
先日来からモヤモヤとしていることがあります。 昨年4月、89歳の飯塚幸三被告が自動車を運転し11人を死傷させた いわゆる「池袋暴走死傷事故」の初公判の報道ぶり。 この事故は、若いお母さんと小さな娘さんまでが亡くなり、 一方で事故を起こした当人が89歳の歩くのもやっとの高齢者で、 かつ旧通産省の高級官僚だったこともあり、高齢者の運転は止めさせろとか、 飯塚被告がなかなか逮捕されなかったことに対して「上級国民だから優遇されている」等と、 かなり感情的・大々的に報道されたものでした。 今回の公判で飯塚被告は「アクセルペダルを踏み続けた記憶はありません。 車に何らかの異常が起きて暴走した。暴走を止められなかった」と 起訴事実を否認し弁護側も「過失運転は成立しない」として無罪を主張したそうです。 それについてメディアもネットの反応も「人間として終わっている」 「被害者の気持ちを踏みにじるのか」「許しがたい」「反省がない」と 発言には注意すべきコメンテイターですら、飯塚被告の人間性にまで踏み込んでの 批難の大合唱です。 気持ちは分かります。妻と娘を無くした遺族がテレビで発言していることもあり、 「なんで年寄りが生き残って、罪も過失もない若い人達が犠牲にならなくちゃならないのか」 そう考えてしまうのも、納得出来る。 天下のトヨタの車に、そんな欠陥がある確率は極めて低いことも分かる。 それでも、と思うわけです。 高齢者だからって全員が運転ミスを犯すわけではない。 若い世代より死亡事故は多いのかもしれないけれど、何千万人いる高齢者の中の数人です。 車の異常なんて起こるわけがない、トヨタの担当者がそう発言している、 という理屈も100%絶対だとは言い切れないわけです。 仮に、万に一つでも「車に異常が起きた」可能性が科学的にあるならば、 世間の今の批難は不当なものとなるわけです。 そこを検証し、被告の発言の真偽を明らかにするのが裁判であり、 裁判の結果が出るまで、私達は、特に影響あるメディアは静観するべきではないか。 しかし、そういう意見が全く出て来なくて、 私はモヤモヤしていたのですが、 11日の「サンデージャポン」で杉村太蔵氏が 「遺族の方の立場になって考えますといたたまれないし言葉がない」 とした上で「一方で少し冷静になって考えないといけないのは、 私たち民主主義の社会に生きています。 そういう時に裁判において被告が自分の正当性を主張するのは、 基本的人権の中では最も尊重されるべき一丁目一番地。 これを否定するのは、ましてやメディアで強くバッシングするのは冷静にならないといけない」 と指摘したという記事を目にし、彼もちゃんとしたことをいうじゃん・・と見直しましたね。 コメンテイターとしてTVに出る人は「被害者に寄り添う」スタイルをとることが 最も好感度を失わない安全で安易な姿勢ではあるのでしょう。 だから世間の空気で「悪いヤツ」となった相手は徹底的に罵倒し正義ぶる。 でも私達は、飯塚被告が実際どういう運転をしたのか、 89歳だったとしても、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続ける程に耄碌していたのか、 プリウスに本当に欠陥はなかったのか、飯塚被告は事実反省なんかしていないのか、 人間として失格だと断罪される程に身勝手な人物なのか・・ということを知らない。 事故を見たわけでも検証したわけでも、当人と話したわけでもないですしね。 印象で人を断罪することがいかに危険か、私達は様々な例を見て来たはずなのに。 杉村氏は、他の芸能人が、それでも非難するのに対し、 「推定無罪という大原則はメディアで押さえておかないといけないポイントだと思います」 と譲らなかったようです。テレビというのは多大な影響力を持つ媒体ですから、 その原則は心して押さえておくべきだと私も思いますね。 今回は杉村太蔵君にマル一つです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.10.11 18:07:31
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