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こまた☆たまこのジュネーヴ通信

2カ月(2005/4/25~5/15)


5週目 (哲学する妊婦)


たまお: 「たまピィー、オメデトウ!」

たまこ: 「あっ、どうも。アリガトウ。お前もな。」


*備考)たまおさんは、わたしを本名+ピィー付けで呼びます。(笑)


っと、アホな会話をした翌日より5週に突入。ネットで仕入れた情報によると、4週~7週の間に人間の基礎となる器官の80%が完成すると知り、フンドシの紐を締め直す。(って、フンドシはいてないけど・笑)

また、わたしの強い希望により、もしものことを考えてせめて4ヶ月に入るまでは周囲に黙っておくことにした。これが意外に難しいことは容易に想像が出来る。何故なら、酒好きのわたしがアルコールを口にしないのは非常に不自然だからだ。(笑)さっそく二人で対策を考える。

旺盛な食欲&強い眠気なおも継続中。はっきりとしたつわり症状はまだ無いものの、夜になると船酔いに似た感覚あり。気分が非常に変わり易い。昨日Aだと思っていたのに今日はBだなぁ~っと思えたり。たまおさんは、「女性は元々非論理的だけど、妊娠すると更に非論理的になる」っと言って、わたしを憤慨させた。(笑)「いや、妊婦は、しばし哲学者になる。」と真顔で言ったら、吹きだされました。失礼なっ!

この時期は、今ひとつ実感が無いためか、時々空虚な気分に襲われた。一日に数杯は飲んでいたコーヒーが飲めなくなり、アルコールに関しては、全く興味自体が無くなった。残っていた赤ワインを料理に使おうとして鼻を近付けたら気分が悪くなった。なんたる変化!それ以外は、つわりもまだそれほど酷く無いし、たまに感じる軽い腹痛以外は快適な妊婦生活デビューに思えた。


ただ、ひとつ。困ったことがありますのん・・・・。

ウチのたまおさん、わたしの腹部に向かって、「ナミエ」って、呼びかけるんですの。たまおさんの昔の彼女の名前かって?いいえ、皆さん良くご存知のあの方です。1990年代を駆け抜けた一昔前の歌姫・あの「奈美恵」さんのことですワ。たまこ、とっても迷惑なんですけどねぇ~・笑。

夕食後、フトたまおさんの腹部に目が行きました。

こんなところに「妊娠5カ月の先輩」が居ました。(笑)



記) 2005年5月1日



6週目 (鬼・ババの目にも涙?)

この時点では、わたくしまだ病院に行っておりません。欧米の産婦人科では、超妊娠初期での診断を行わず、妊娠反応が出てから2週間後くらいに受診するのが望ましい。っと何かで読んだ記憶があったので、7週目に入った辺りで最初の診察に行こうと思っていたからであります。

スイスでの一般的なお産スケジュールは、妊娠期間中を開業医診療所で診てもらい、出産は入院施設のある州立病院などの産婦人科で迎えるというものらしい。何事も初めてのことなので、戸惑うがまずは開業医を探すことに。

そこで、クラスメートのEMに教えて貰った評判の良い女医さんに予約を取ろうと電話してみたら、可能な予約は2カ月後になりますとのお答え。ひょぇ~!スイスで人気産科医師に予約を取るのは簡単なことじゃ無いのだぁ~。

この緊急事態に、2カ月も待っていられないので、ひとまず最終的にお産をすることになるジュネーヴ州立大学病院の産婦人科に最初の検診に行くことにした。それでも予約は一週間後。

最近、勢い良く立ち上がると、フラッとする事が多くなった。コレって、貧血だよなぁ~っと食生活を改めてチェックするものの、海外の食習慣で効率的に「鉄分」を摂取出来る食材の少なさにガックリと肩を落とす。キッチンに長時間立つのもシンドくなるこの時期、たまおさんに「わたしの食べたいもの」を作って貰うのはほぼ不可能だと知った今、ご主人にたとえ出来合いのお惣菜でも買いに走らせる事が可能な日本在住妊婦に軽い嫉妬すら覚える。(笑)

つわりは既に始まっていて、食の好みはほとんど変わっていないものの、空腹になるといきなり吐き気をもよおすこと一日に数回有り。全く自慢にはならないが、わたくし二日酔いで「吐くこと」は慣れている方なので、ゲッゲェ~っとやったあと何事も無かったように振舞うことは可能なのですが、たまおさんからは「最近、顔が白い」っと指摘されるようになりました。やっぱり貧血ですかねぇ~?

そして、妊婦はとにかく眠いのだ。しかも、なんと涙もろい。わたし、それほど涙もろいタイプでは無いと思っていたのですが、ネットや書籍で少しでも感動的な文章を目にすると、涙がポロポロとこぼれるのです。それを、見ていたたまおさんも最初のうちは慌てていましたが、今は「女性ホルモンの為せるワザ」と理解し暖かく見守ってくれています。


【おまけ】 たまこのお役立ち情報

わたしは、このジュネーヴに暮らすの第6章医療と健康のページを参考にしました。
 



記) 2005年5月8日



7週目 (スイスの病院って!怒)

始めての検診日。ところが、この日空振りとなる。

約束の午後3時40分ぴったりに受付を済ませ、待合室を探す。ところが、この病院、順路が非常に分り難い。待合室もいくつかあり何処で待てば良いのか丁寧な案内も無いまま、発行されたカルテを手に待つこと30分。その間、同じ時間帯から待っていた2組の患者が呼ばれるものの、何時になってもわたしの名前が呼ばれない。

ちょっと不安になり、次に患者を呼びに来たナースに確認してみると、わたしの名前は受付されてないと言う。「へっ?」良く良く聞いてみると、待合室の前でもう一度受付をしろと言う。「なんだとぉ~?それを早く言わんかいっ!」結局無駄に待つこと40分。隣りのたまおさんをチロッと睨む。

時計の針は既に午後4時50分を指している。つまり一時間以上待っている。その間、何人かの患者が呼ばれて行ったがついにわたしの名前は呼ばれることなく、一人のナースが待合室に入って来た。

彼女の口から最初に出た言葉は「Je suis desole」=「ごめんなさいね」だった。

わたしの嫌な予感は的中した。彼女が説明する理由はこうだ。「わたしが予約を入れていた医師と午後一の緊急オペ以降連絡が取れなくなった。」つまり、医者が行方不明なので、また出直してね♪と言うことらしい。「いや、わたし、別にその医師でなくてもいいんです。代わりのお医者さんでも・・・」と言いかけたところ、「あら、もう5時を過ぎてるから受付も閉まっちゃったわねぇ。今日は次回の予約も無理ねぇ~。」そして無常にも「明日以降にまた電話して予約を取り直してね。」とわたしに理解不能なフランス語で言った。

「・・・・・・・」

何故、あと10分早く言って下さらなかったのでしょうか?

結局仕切り直して3日後に予約を取り直して初受診となったのでした。



気分も新たに今回は予約時間より15分早く到着する。前回と同様に受付を済ませ、カルテを手にプラプラさせながら廊下を歩いていくと、白衣を着た女性が近付いてきて、たまおさんとわたしに向かって「フェリシタシヨン」=「おめでとう」と話しかけてきた。この人がどうやらわたしの担当医師らしい。

小さな部屋には、担当医師と看護婦、それからここはジュネーヴ州立大学病院なので、インターンらしき人が居た。わたしはたまおさんと一緒に時々訳してもらいながら問診に応じた。担当医師の英語はイマイチだったが、看護婦の英語はなかなかのものだった。ホッとひと安心。電子辞書を片手にこれまでの病歴や経過を説明していく。

この最初の問診で、1)母乳で育てますか?2)出産後、特に問題が無ければ直ぐ退院しますか?等、予想していなかった質問があった。今、そんなこと聞かれてもねぇ~そのときになってみなければ分かりましゃぇ~んって。こちらの病院では、産後の経過が順調であれば直ぐに退院させるのはやっぱり普通のことらしい。ふぅ~む・・・。

問診の後、小水検査と血液検査、血圧と身長・体重を測定して内診。これは良く知られていることだが、こちらの婦人科では患者と医師の間にカーテンのような仕切りは無い。わたしのように言葉のコミュニケーションに問題がある場合は、お互いに表情が見えるこの方がかえっていいような気がした。たまおさんは、顔を歪めているわたしの手を心配そうにさすっていた。(まだ陣痛じゃないっつーの・・・笑)

またこちらの婦人科では、特に問題が無い限り、妊婦検診でのエコーは2回だけのようであり、最初のエコーは次回の検診だそう。

最終月経から計算した出産予定日は、わたしの誕生日の2日後の2005年12月26日だ。

こちらの産婦人科では旦那さん同伴は一般的のようである。最初は、躊躇していたたまおさんも、担当医師から直接説明を受けたりそれをわたしに訳しているうちにだんだん自覚のようなものが芽生えてきたように見えた。

検診日翌日、頃良いタイミングを見計らって、「わたし、しばらく夕食作りません宣言」をした。つわりが本格的になったのだ。良く言われるような嗜好の変化や匂いに敏感になったりは無かったが、キッチンに長時間居るのが辛いのだ。これまでは、ふらふらしながらも一応簡単な食事は作っていたが、無理は禁物。宣言してみたら、非常に気持ちが楽になった。つわりの期間は長くても2カ月。しっかり甘えることにした。



3カ月へ



記) 2005年5月15日




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