2006/05/31(水)19:52
一度きりの代役
フリーページができないので、日記にて更新。
番外編その2、かな。
さて、誰の話でしょうか。
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「・・・渡辺さんですか?」
目印の経済誌を持って、約束の場所でそわそわしている僕に、彼の方から声をかけてきた。
「サトル・・・君?」
想像したよりずっと大人びた雰囲気を佇ませて、彼はニッコリと笑った。プロフィールだと22歳だということだったけど、28の僕とそんなに変わらないんじゃないかと思えた。モミアゲから頬にかけて生やされた髭がきちんと手入れされている辺りが、大人のおしゃれって感じを演出していた。
「行きましょうか。」
行く方向を指差されて、僕は急に怖気づいた。背中を嫌な汗が伝った。足が動かなかった。
「あ・・・えっと。」
彼は行きかけた足を止め、振り返ると、僕を観察するように見た。僕は来たことを後悔した。
「おなか、すきませんか?ご飯、食べに行きましょう。」
彼はクルリと反転すると、僕の肩をぽんと叩いて、当初の目的とは反対側に向かって歩き出した。僕はあわてて後を追った。
彼は近くにあったファミリーレストランに入った。ウェイトレスに促され窓際の席に向かい合って座った。
「僕のおごりなんだから、遠慮せずにもっといい店にしたらいいのに。」
運ばれてきた水を口に運びながら、僕はメニューを見て言った。彼はもう一つあるメニューは見ずに、僕が開いたメニューをさかさまにみながらそれに答えた。
「メニューは多いほうが良いんですよ。」
それから椅子に背中を持たれかけると、水を飲んだ。
「もう決まったのかい?」
多いほうが良いという割に、メニューはあまり見なかった。彼は上目遣いに僕を見るとニッと人の悪い笑みを浮かべた。
「渡辺さん選んでくださいよ。俺の分も。」
ええ?僕は声を上げて驚いた。会って間もない人の好みなんてわからないよ。僕は真剣にメニューを見た。彼は僕が選んでいる間中、頬杖をついて笑って見ていた。
『とろくさいなぁ、かせよ。俺が決めてやる』
いつもだったら、とっくに決められているはずだ。僕はメニューを見ながらぼんやりと思いに耽ってしまった。カリッと彼が氷を噛む音で我に返った。
「ご、ごめん。やっぱり君が決めてよ。」
僕はメニューを手渡そうとした。彼はその手を止めると、メニューを再びテーブルの上に開いた。
「今朝、何食べました?」
彼はクイッと眼鏡を上げるしぐさをした。しかし眼鏡を掛けてないことに気づいて、照れ隠しに後頭部をかいた。普段は眼鏡なのだろう。コンタクトはめったにしないのかもしれない。僕はくすっと笑った。
「サトル君は何を食べたの?」
僕がそう尋ねると、彼はふわりと柔らかく笑った。まるでそう答えるのが正解であるように。そういえば、僕はこんな風にあいつに尋ねることもしなかったな・・・。
「俺は今朝パスタでした。なのでパスタ以外がいいです。」
僕は彼の言葉に頷いた。
「僕は純和風だったから、なんでもいいな。間を取って中華にしようか。」
僕の提案に彼はニッコリと笑う。僕はウェイトレスを呼ぶと、中華系のものをいくつか頼んだ。
「飲み物はどうしよう。中華でそろえて、ジャスミンティーなんてどうかな?嫌いじゃない?」
彼がいいですね。と言ってまたニッコリと笑う。僕は嬉しくなった。こんな風に相手に何かしてあげようと考えて、喜んでもらうなんて何年ぶりだろう。いつも嫌われたくないとしか考えてなかった気がする。
またぼんやりとしてしまった僕に、彼は優しく微笑んだ。
食事が終わり、僕の心はすっかり打ち解けていた。もう逆方向に足がすくむことはなかった。むしろ自然と足が向いた。
これがプロの仕事なのかと、僕はただただ感心した。
彼についてホテルの部屋に入った。のんびり食事をしてしまったせいで、残りの時間が少なくなっていた。彼は僕の上着を脱がせ、ハンガーに掛けた。その時、ポケットからライターがコトリと落ちた。
「長いこと使ってらっしゃるんですね。」
シルバーのライターはところどころ黒ずんで、年季が感じられた。もう、10年にもなるのか。僕はそうだねと答えると、無理に笑って見せた。彼は僕の顔を見て、そっとそれをポケットに戻した。
僕たちは服を脱いですぐにバスルームに入った。人に身体を洗われる行為はとても恥ずかしかったが、絶えず彼が話しかけてくれたおかげで何とか耐えられた。身体を拭いてベッドに横たわる。すぐに彼もベッドに入ってきた。
「渡辺さんは、どういうのが好きです?」
どういう?僕はそんなこと聞かれたことがなくて、びっくりして目を見開いた。あいつはいつも僕を乱暴に抱いた。僕はそうされるのが好きなのだと言われたので、そうなんだと思うことにしていた。
「わからない・・・。」
僕は本当にその行為が好きだったんだろうか。考えたこともなくて、戸惑った。
「そうか、じゃあ探そう。」
彼はそんな僕を見て、頬を撫でると、首筋に唇を寄せてきた。くすぐったくて身を捩る。彼が全身に手を這わせる。僕は目を瞑り、それを素直に受けた。彼がする行為一つ一つに、僕は自分をさらけ出した。彼は僕の反応を一つ一つ確かめながらことを進めた。
僕は今までにない優しさと快楽を味わった。短い時間だったけど、充実した時間だった。
彼は済ませた後、ポケットから新しいタバコを出した。紙を剥いて一本取り出す。
―――アメリカンスピリッツ。あいつと同じタバコだった。
「渡辺さん、火、貸してよ。」
僕は上着のポケットからライターを取って火をつける。あいつも終わると必ずタバコを吸った。彼の姿があいつとダブル。
「・・・タバコ、吸うんだ。」
僕は揺ら揺らと天井に上がっていくタバコの煙を眺めた。
「いや、吸わないよ。」
彼はフゥッと勢いよく煙を吐き出すと、灰皿にタバコを押し付けた。
「渡辺さんが、吸ってほしそうだったからさ。オプションだよ。」
彼はそういうと、残りのタバコの箱を僕の手に握らせた。僕はびっくりして彼を見つめた。
―――どうしてわかったんだろう・・・。
「本当は、タバコ、嫌いなんだ。」
僕はつぶやいた途端、涙が止まらなくなってしまった。なぜ僕は10年もすがって生きてきたのだろう。嫌われることを恐れて、自分を殺してまで。今わかった。いや、本当はずっとわかっていたのに目を瞑っていたのかもしれない。あいつは僕を愛してはいない。僕も、あいつのことを愛してない。
「これ、受け取ってくれ。」
僕は今日の料金と一緒にシルバーのライターを手渡した。彼は笑ってそれを受け取ってくれた。
「ありがとう。」
僕は心からそう言った。
僕はあいつと別れて1人で生きていく決心をした。
後日、改めてお礼を言いたくて、もう一度同じ店で彼を指名した。
「渡辺さん?」
声を掛けられて振り返る。しかし、振り向いた先には見知らぬ少年が立っていた。
「あれ?えっと、サトル君を・・・」
少年は始めキョトンとしていたが、ああ、という顔をした。
「マモルかぁ・・・っとと、えっと、その、彼は一度だけ緊急で俺の代役をやってもらっただけなので、実は、違うんです。すみません。」
プロ、じゃ、ないのか。僕は笑いが込み上げてきた。少年は腹を抱えて笑う僕を見て、嫌だったら指名変えますけど顔を傾けた。
「いや、いいよ。行こうか。」
僕は少年の背中に手を掛けると、新しいライターでタバコに火をつけた。
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人物紹介と言ってもここでは1人しか出てこないけど・・・。