Look at the sky 〜雲の上は いつも青空〜

2016/09/08(木)22:30

「無条件の愛」のシャワーを浴びていたことに気付く(長文です)

├ 不登校(12)

今朝、心に浮かんだこと。 息子が不登校だった時期の私…たっぷりの「無条件の愛」のシャワーを浴びていたんだなぁ…。 追い詰められ、というか、自分で自分を追い詰め、ヨレヨレになっていました。 以前にもブログに書きましたが、救急車で運ばれ、1週間、入院したことも…(めまい、嘔吐で)。 結果的にはストレス性のものだとわかったので、後から思うと救急車とか入院とか大袈裟だった〜💦と恥ずかしいのですが 一時期味覚が全く消失し、治るのに半年程かかったこともあったし。 子ども本人ではなく、母がここまでヨレヨレになるなんてね やれやれ〜。 そんな自分のことを、8月31日のブログで「一生懸命だけれど愚かな母」と書きました。 本当に、そうだったと思います。 でもね。 「一生懸命だけれど愚かな母」…これ、否定する言葉じゃないんです。 当時の自分を、黙って、いとおしく抱きしめながら、そうだったね…と思う感じでしょうか。 そして気付かないうちに、その時々の状況に関わらず、息子を黙って、いとおしく見つめられるようになっていったように感じます。 どうしてそうなったのかな、と振り返ると、息子が不登校だった期間に、私自身が「無条件の愛」のシャワーをたくさん浴びていたから?…と思うのです。 自分の生育歴の中では、なかなか感じられなかった「無条件の愛」。 両親としては、出し惜しみすることなく愛して育ててくれたと思いますが、私の実感としては、無条件に愛されていると感じることは難しかったです…。 今なら、わかります。 もし小さい頃、例えば私が何か事故にあって一生寝たきりになったとしたら…。 両親は、いろいろ悩みながらかもしれないけれど、やはり私を愛してくれたと思います。 いらない子になんて、なるはずなかった。 つい最近まで、それがわかりませんでした。 頑張っているんだから、なんとか愛されているんだと思っていましたねー💦 あれれ、テーマから外れつつあるかも💦 いや、外れていないか。 そうか、「無条件の愛」に気付くようになったってことかもしれません。 息子が不登校だった2年半の間、本当にたくさんの方に手を差し伸べていただきました。 息子が中学の中で一番信頼していた、部活の先生。 中3になるときに異動されてしまいましたが、親子ともども、本当に支えていただきました。 いつでも待っているよ、でも学校に来られなくても仲間だよ、という先生のメッセージは、息子の心に確かに伝わっていたと思います。 部活の同級生、先輩方、そしてお母さん方にも、たくさん優しさをいただきました。 何にもお礼ができていませんが、思い出すと涙が出そうになるぐらい、ありがたかったです。 学年主任の先生。 不登校当初から、親身になってたくさん相談にのっていただきました。 不登校になって1年程たって出会い、言葉に尽くせないほどお世話になった、NPO法人のA先生とスタッフの方。 A先生は、本当に「慈愛」を体現している方だと思います。 A先生もスタッフの方も、たくさんのケースに対応しているはずなのに、本当にいろいろな形で支援してくださいました。 また、そこで出会ったお母さん方。 親の会で、不登校の子がいるお母さん方だけでなく、お子さんの発達障害のことで相談にいらしている方々にもお会いし、そこでもたくさんの「無条件の愛」を感じました。 息子がお世話になった塾の先生方。 大手の集団指導塾でしたが、どうしてここまでしていただけるのかと思うほど、気にかけてくださいました。 ずっと成績別の一番下のクラスで、塾の進学実績には全然貢献しないのに。 また息子、塾のクラスの友だちには不登校だとカミングアウトしていたようですが、皆、ごく普通に接してくれていたようです。 中3の夏休み明けからは、スクールカウンセラーの方にも、いろいろ話を聞いていただきました。 主に、ささいなこととして自分では処理したつもりでも、まだ心にわだかまりとして残っていたあれこれについて。 ささいなことだったはずなのに、たくさん涙が出ました…。 他にも、以前からとても信頼していた方で、いろいろ聴いていただいた方が一人。 さりげなく、でも途切れることなく、お葉書をくださった方が一人。 私が疲労困憊していて、お返事を書けないことも多々でしたが、変わらず、さりげなく…。 本当に本当に、ありがたかったです。 また不登校期間の途中で「アティテューディナル・ヒーリング(AH)」に出会い、AHの考え方から、また実際のAHグループに参加したことでも、たくさんの「無条件の愛」に触れることができました。 AHに出会えたことは、一生の宝です…(アティテューディナル・ヒーリングのカテゴリで書いています)。 まだまだ、書き切れません。 不登校の時期に母としてできたことは、本当にダメダメのヨレヨレになって、でもたくさんの人に助けられ、なんとかかんとかやっている姿を隠さず息子に見せたことだけかも…と今になって思います。 息子が不登校の時期、何を考え感じていたかは、今でもわかりません。 私のことを、どう見ていたかもわかりませんねー💦 NPO法人のA先生と出会ってすぐの頃、「ダンデさんに、この闇のようなトンネルから、少しでも早く出てほしいのです」という内容のメールをいただいたことがあります。 えっ?トンネルに入って出て来ないのは、私じゃなくて息子なのに! 何を言われているんだろう?と思ったことを、はっきりと覚えています。 今になって、やっとわかるようになりました。 A先生と出会った段階で、すでにたくさんの方が手を差し伸べてくださっていたのに、それがわからず、真っ暗になっていた自分。 息子の持っている力を信じられず、手放しでは人を信じられず、自責から逃れられず💦 このブログに詳しく書くことはないと思いますが、激しく人を責める気持ちにも支配されていました。 まさに「闇のようなトンネル」に、母である私が入って出られなくなっていたんだなぁ…。 今は、そのトンネルからは出られたと思っています。 でもそれは、息子が不登校でなくなったから出られたわけじゃなく。 これから、またどこかでトンネルに入ってしまうこともあるかもしれないけれど(私にしても、家族の誰かにしても)、絶対に出られるから大丈夫とも思っています。 書き始めたら、思いがけず長いブログになりました。 読んでいただきまして、ありがとうございました。

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