6月7日の朝にいきます

2023/01/25(水)14:42

雑誌に自宅住所が載った時代

​​​​​​​​現在は個人情報保護法があり、とても考えられないこととなったが 私が10代の頃は、雑誌に当たり前のように個人の住所が載った。 ​​​ 中学生の時に、月刊の少女向け小説誌を2冊購読していた。 一冊は学研だったかの「小説ロマン」で、もう一冊は…完全に失念した…。 当時は旺文社や学研の学年誌などにも、当たり前に「文通希望欄」があり、 ペンフレンドを求める読者が、 「ピアノが趣味の中2です。海沿いに住む人と文通したいです」 などど希望を書いて、住所と名前を公開した。 そういう私は、国内に13人、イギリスに1人(英語で文通)を持ち、 月に1度とか、2月に1度くらいのペースで手紙のやりとりをしていた。 驚くことに芸能誌では、有名人のファンレターのあて先として自宅住所が明かされ、 私も当時、歌がとても上手で大好きだった女性歌手に手紙を出したものだ。 彼女の名前は可愛和美さん(自死された可愛かずみさんとは別人)。 とにかく歌唱力があり、ルックスもかわいかった。 ファンレターを書いてしばらくしたら返事が来て 美文字なことに、なおさら好感を持った。 縁があったのだろう たまたま参考書を買いに出かけた横浜のデパートで 彼女のサイン会が行われていた。 デパートの屋上で新曲発表会をしたりサイン会をしたりは、よく行われていた時代だ 私はサイン会の列に並び、緊張しながら和美さんに言った。 「ファンレターのお返事を、ありがとうございました」 彼女は顔を上げて私の目を見、それからニコッとほほえんだ これに勇気を持ち、電電公社の電話番号問い合わせを利用し、 住所を告げて、彼女の自宅の番号を教えてもらった。 もちろん親が買い物に出掛けていた時間に、だが… 和美さんは、渡辺プロダクションの寮に小柳ルミ子さんと同室で暮らしていた。 「真面目そうな子だと感じたわ」そう言ってくれて そこから自然に、手紙のやり取りが始まった。 高校を卒業した頃に銀座の有名フランス料理店へ招かれ、ご馳走にもなったっけ。 ​やがて都内の住居マンションに何度も呼んでもらえるようになり、 彼女のファンクラブを任されるようにもなった。 ​ 4枚目シングルの「シャム猫とのら犬」はそこそこヒットしたが、 時代は辺見マリさんなどが大ヒットを飛ばしたセクシー歌謡路線となったため 彼女はそれ以上のヒットに恵まれなかった。 やがて、和美さんは本格的な歌唱を求め、 本名の「額田和代」名義や「かあいかづみ」として、活動の場を替えた。 和美さんは別だったが、子供の頃のペンフレンドとは 大学受験を前に、すべて終止符を打ったと記憶する。 時代は変わり、今は学校の卒業生名簿ですら作られなくなった。 護られて助かることも、もちろんあるが、 あの頃の、穏やかな風潮は、忘れられない良い想い出だ。 ​​​

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