末期がん患者の謎
私の前は「八本木隆次」。珍しい苗字なので、初対面の人に電話で名乗るときは「私の名前は八本木、六本木の二つ先と書きます」とユーモアを交えて言うことにしている。 さて今年も健康診断が終わり、検査結果が送られてきた。私は健康には自信があり、いままで健康診断で再検査を指摘されたことはない。それで気楽な気分で健診結果表を開いたのだが、「要・胃精密検査」の文字を見つけて驚いてしまった。 それで胃内視鏡検査を専門に扱っている最寄りの飛鳥クリニックに行き、生まれて初めて内視鏡検査を受診した。このクリニックでは軽い麻酔を使うので、全く痛みはなかったのだが、検査が終了したあとに胃の中がムカムカしはじめた。それを看護師に伝えると「胃の中が荒れていたので、生検を行うために、胃の病変を少し切り取ったからかもしれません」と言うのだ。 生検を行うということは、胃がんの可能性を調べるということである。この検査結果が出るのは2週間後だと言う。その2週間は「もしかしたら胃がんなのでは」という疑惑が脳裏にへばり付き、なかなか熟睡できない夜が続いた。 長くて辛い2週間だった。飛鳥クリニックの診察室に入ると、医師が神妙な顔つきで「同時にやったピロリ菌検査で、かなりの数のピロリ菌が見つかりましたが、すぐに抗生物質で治療しますか?」と尋ねてきた。もちろん私はピロリ菌治療は了承したのだが、「先生それよりも生検の結果はどうでしたか?」と聞いてみた。 少し沈黙があった後、咳ばらいをしながら医師が答えた。「お気の毒ですが、実は末期の低分化腺癌という、かなり面倒な胃がんに侵されていて、もし転移していたらあと余命3か月程度となります・・・。これから協和病院宛に紹介状を書きますので、明日にでも行ってください」 それは私にとっては、まるで死刑宣告と同じであった。だがここで挫ける訳には行かない。とにかく明日協和病院に行ってみよう。 翌日協和病院に出かけたが、その日は診察と血液検査だけで、1週間後にまた内視鏡検査を受けることになった。すぐにでも検査してもらいたかったのだが、患者で溢れ返っているこの病院では、通常一か月以上待たなければ内視鏡検査の予約が取れない。だが末期がんという紹介状の効力で、なんとか1週間後に予約できたのだと嘯かれてしまった。 1週間後に内視鏡で胃の中をグリグリとかき回され、痛くて痛くてよだれと涙でぐしゃぐしゃになってしまった。飛鳥クリニックでは軽い麻酔を使用したので、全く痛みは感じなかったのに、なぜ大病院である協和病院では麻酔を使わず、患者にこんな辛い思いをさせるのだろうか・・・。 そしてさらにまた1週間後、協和病院の消化器内科で内視鏡検査の結果を聞いたのだが、なんと生検の結果はがん細胞が見つからなかったと言うのである。これは一体どういう訳であろうか。 では前回飛鳥クリニックでの診断は誤診なのかと尋ねたが、「それはあり得ないと思うので、当院の方針としてはこの難しい癌については、胃の全摘出手術を行うしかないと考えている」との素っ気ない返事であった。 なんと自分の病院で実施した検査で何の病理も認められないのに、他の検査センターが行った検査結果だけを鵜呑みにして、胃を全部切り取ってしまうとは余りにも無謀ではないか。だからと言ってこのまま放っておけば、潜んでいた癌細胞に体中侵され手遅れになってしまうかもしれない。一体どうしたらよいのだろうか・・・。 いずれにせよ、不安を抱え納得出来ないまま手術を受けることは出来ない。それで別の病院の医師の意見も聞きたいので、セカンドオピニオンを受けるために紹介状を書いてもらうことにした。 紹介を受けたのは協和病院よりかなり遠方にある「日本癌研究センター」であった。この病院は癌については日本一であり、地元の病院に見放された重篤な癌患者たちが、地方からも大勢診察に訪れている巨大病院である。 約3時間も待ってやっと診察することが出来た。担当医師は胃癌の専門医で全国でも名の知れた医師であった。テキパキと応対してくれ、自分のところでも内視鏡の再検査を行うが、もし病理でも癌が見つからなかったら手術は行わないとのこと。さすがに日本癌研究センターでも有能な医師である。話が分かり易く自信をもって自分の意見を述べているではないか。私は3日後の検査予約と、その3日後の検査結果診断の予約を取り付けて、やっとすっきりした気分になり日本癌研究センターをあとにした。 さあ運命の6日後が来た。日本癌研究センターの担当医師が検査結果を説明してくれた。なんとここでも癌の病理は見つからなかったと言うのである。協和病院で5か所、ここで10か所も胃の中の細胞を切り取って検査したのに一度も癌細胞が見つからないのだ。飛鳥クリニックでは1か所の摘出だけで癌が見つかったというのに。 担当医師の結論は、もしかすると飛鳥クリニックで依頼した検査センターで、他の患者の細胞と取り違えてしまったのかもしれない。めったにはないが、あり得ないことではないと言うのである。 だからとりあえず手術は行わないが、万一のこともあるので、今後3か月に一度の頻度で内視鏡検査を続けることになるらしい。 八本木隆次の話はここまでにしよう。だがまだ続きがあるのだ・・・。実は彼と同じ日に飛鳥クリニックで内視鏡で胃の細胞を切り取り、同じ検査センターの生検に回された患者がいたのである。 その男の名前は「八本木隆二」だった。そもそも八本木という苗字が珍しいのに、漢字1字は異なるもののカタカナで書けば同姓同名ではないか。そしてさらに生年月日まで同じだったのだ。まさにこれは奇跡としか言いようがない。検査センターが、病理標本を取り違えたのも致し方ないかもしれない。 その結果として、癌でもない八本木隆次が大騒ぎし検査漬けになったことは気の毒だったが、もっと気の毒なのは末期がん患者なのに「異常なし」と診断された八本木隆二のほうだろう。もしこのまま1年後の検診まで放っておけば、もう完全に手遅れでになってしまうからである。作:五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村