盛岡から秋田街道を田沢湖方面へ車を走らせると、駒ケ岳方面に上ってゆく細い山道がある。その道の終点には、藤川旅館というひなびた温泉旅館がぽつんと建っている。ここの温泉は青緑色に輝く高濃度硫黄泉という珍しい泉質なのだが、それよりもずっと奇妙な言い伝えが残っていた。
実は夜中の12時過ぎにこの温泉に入ると、どこからもなく赤子の泣き声が聞こえてくるのだと言う。それで周囲を振り返って見回すのだが、風呂場にも脱衣所にも誰も見当たらない。余りにも不気味なので、誰も深夜12時過ぎにはこの温泉に浸からなくなってしまったらしい・・・。
そんな折り、薄汚れた旅の僧がこの藤川旅館に宿泊していた。そして赤子伝承を知らないのか、夜中の12時直前に独りでこの温泉に入浴したのである。
彼の法名は「懺海・ざんかい」と言う。懺悔ではなく懺海と書く。懺悔の旅を始めて10年、もう本名は忘れてしまった。だがこの温泉で起きた「あの惨事」だけは、いつまでも彼の脳裏にこびり付いたままである。
10年前、まだ普通の会社員だった懺海は、珍しい青緑色に輝く温泉があると聞いて、登山者でもないのにわざわざ東京からこの藤川旅館を訪れていた。そして運命の深夜12時過ぎ、独りでヒノキの湯舟に沈んでいた。
さて言い忘れたが、ここの温泉は男女同漕であり、中央に仕切板はあるものの湯の中で繋がっているという昔ながらの構造だった。その昔は混浴だったのを簡単に改造したのかもしれない。
懺海がその仕切り版の下を覗くと、女湯に浸かっている若い女性の白い尻が丸見えではないか。それに欲情した懺海は、いたずら心を起こし、仕切板の下から手を伸ばして女性の尻を触ってしまったのだ。
するとびっくりした女性が、叫び声と共に抱いていた赤子を、湯の中に落としてしまったのである。懺海には湯の中に沈んで行く赤子の恐怖に引きつった顔がはっきり見えたそうだ。
そして慌てた母親がやっと赤子を湯中から拾い上げたときは、赤子はぐったりとしていたらしい。真夜中で山奥のため、救急車がやっと到着した時には、既に赤子の息はなかったと言う。実に気の毒で悲しい話ではないか。
この事件を境に、赤子を死なせてしまった母親は気が触れてしまい、精神病院に入院してしまった。そしてこの事件の引き金になった懺海は、とりあえず警察の事情聴取を受けたものの、衝動的でかつ悪意や殺意があった訳ではなかったため、なんと僅かな罰金を支払うだけで解放されたのである。
さらに赤子の母親は発狂し、彼女には親族もいなかったため、被害届を提出する者もいなかった。だが懺海自身はその結果に納得できるはずがない。あくまでも自分が手を出さなければ、このような悲劇は起こらなかったのだから、もっと厳しく罰して欲しかったのである。
そしてその日を境に、懺海は剃髪し会社を辞め、全国の神社仏閣を訪ねる懺悔の旅に出たのである。懺悔の旅を始めて10年、一区切りついたところで、発狂した赤子の母親が入院していた病院を訪れたのだが、9年前に彼女は亡くなってしまったと言うのだ。なんと入院して1年後に発狂したまま、食事もろくに取らず痩せ細って死亡してしまったのである。
そんな経緯があり、さらには旅先で藤川旅館の赤子伝承を聞き、二度と来ないつもりだったこの旅館にやってきたのであった。そしてあえて夜中の12時過ぎに、こうしてこの温泉の湯舟に浸かっているのである。
10年前には男女同漕で仕切板の下はスソアキだったのだが、あの事件が起きてから天井から湯の中まで完全に壁で塞がれていた。当然だが、今はもう女風呂は全く見えない。
さて懺海がシーンと静まり返った浴場の湯舟に浸かっていると、突然どこからもなく赤子の泣き声が聞こえてきた。そして塞がれているはずの壁の奥から、するすると長い黒髪が揺れながら流れ出てくるではないか。
そしてその黒髪はまるで大蛇のように、指を組んでお経を唱え続けている懺海の身体に巻きつきはじめた。それでも懺海は湯の中から動かずお経を唱え続けていたが、次第に湯の中に引き込まれていった。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。もしそのとき湯の中で懺海の顔を見た者があれば、きっとその満足そうな死顔に驚いたはずである。その後この温泉で赤子の泣き声を聞いた者は誰もいないと言う。
(完)
作:五林寺隆
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