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カテゴリ:ひろし少年の昭和ノスタルジー
紺屋の白袴とか灯台下暗しと言われる通り、ひろし君の家でも勝手に商品を食べることは禁じられている。ことに『上生』と言われる高価な和菓子は一度も食べさせてくれない。(これでは客に味を聞かれても答えようがないじゃないか)食べても良いのは、前日に売れ残って固くなった大福や団子などの安い駄餅だけである。 それを餅焼き網で焼いて、朝食代わりにするのである。また食べきれないほど残った場合は、餅とあんを分離してそれぞれを新しいものに混ぜて再生するのである。もちろんそんなことは他人に喋れない。だが当時はどこの和菓子屋でも、同じような再生作業を行っていたので、ひろし君の家だけが特別だったわけではないのだが・・・。 さて焼き大福の朝食が済むと、今度は店内の掃除である。妹の知子が床の清掃を担当し、ひろし君は和菓子の陳列ケースを雑巾で綺麗に磨く。そして掃除を済ませてから小学校へ行く。遅刻をしても店の掃除のほうが優先されていたのだ。これがひろし君たちの毎日の始まりであった。 まずボールの上に目の粗い大きな篩を置き、その上に湯の中で煮込んだ小豆を落とす。熱いのでそれをヘラでこしてゆく。こし終わったら、別のボールにもう少し目の細かい篩を置き、その上にさっき1回こし終わったあんを落として、今度は水をかけながら手でこしてゆく。さらにもう一度、もっと目の細かい篩を使って三回目の「こし作業」を行うのだ。 ひろし君の仕事はここまでで、あとは紘一郎がボールに溜まったあん汁を固い布の袋に入れて、力一杯絞るのである。これが生あんであり、それに砂糖を入れて煉り込めば、こしあんが完成するのだ。とにかく手間のかかる作業なのだが、粒あんと値段が変わらないのが不思議である。 いつの間にかこの作業が、ひろし君の担当になってしまった。時間がかかるし丁寧にやらないと叱られるし、手でこすときに力を入れるため疲れてしまう。掃除、店番、配達などの作業も手伝わされたが、このこしあん作りが一番嫌だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.01.18 10:25:47
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