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カテゴリ:ひろし少年の昭和ノスタルジー
そして時は流れ、「としよりの日」という名前は余りにもストレート過ぎるという意見が飛び交い、昭和39年に「老人の日」と改名された。また「としよりの日」の発祥地である野間谷村から、「こどもの日」と「成人の日」があるのに「としよりの日」が祝日ではないのはおかしいという訴えが繰り返された。そしてとうとう昭和41年に、現在の国民の祝日である「敬老の日」が制定されたのである。 前書きが長くなってしまったが、ひろし君が小学3年生のころはまだ「としよりの日」と呼ばれ、祝日でもなかった。ただすでにこの頃には「としよりの日」はかなり全国的に普及していて、小学校の担任にも「君たちはとしよりの日に何をプレゼントするの?」などと聞かれていた。そんなこともあり、ひろし君も祖母のたねに何をプレゼントしたらよいか考えていたのである。 しかしいくら考えても、なにをあげたらたねが喜ぶのか良く判らない。それで母のみつ子に相談すると、「ひろちゃんからのプレゼントなら、おばあちゃんは何でも喜ぶと思うけど、できれば下駄が良いんじゃないの。」という答えが返ってきた。実は今年の母の日にみつ子に下駄をプレゼントしたのだが、きっとみつ子も嬉しかったのだろう。 さっそくひろし君は、プレゼント用に包装してもらった下駄を、たねの住んでいる代田橋まで届けることにした。以前は小田急線、井の頭線、京王線を乗り継いで代田橋まで行ったものだが、今回は買ったばかりの自転車で行くことにした。ちょっぴり不安だったが、東松原を通って甲州街道へ出れば、電車で行くよりずっと早く着くからである。 そんなことを考えながらペダルを踏んでいるうちに、いつの間にかたねの家についてしまった。たねは菓子屋を辞めて小さな食堂を営んでいる。店の扉を開けると「いらっしゃいまし」という懐かしい声が聞こえた。 「えーと、今日はとしよりの日だから・・・おばあちゃんにこんなものを買ってきたんだ・・・。」ひろし君はやっとそれだけ言いながら、丁寧に包装されている箱をたねに手渡した。 戻ってきたたねの顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていたが、気の強い彼女は凛とした佇まいは崩さず、「こんな高いものを貰ってもいいのかい?」と何度もひろし君に確認していた。ひろし君はなんだか照れくさくてたまらない。 ひろし君がペダルを踏み込みながら後ろを振り返ると、ずっと手を振っている小さなたねの姿が見えた。どうしてもう少し優しくしてやれないのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.02.22 09:53:32
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