認知届件数や~い。
教科書などでは割とメジャーなテーマなんでしょうが、現実は、地味~な「認知」のことについて2回ほど書きました。 で、先ほどから、認知届件数の推移を見ようとしているのですが、なかなか、適当なのが見つかりません。 一応古いデータはもっていて、昭和60年という20年以上前の年には、11,619件でした。 もちろん、父の認知のことで、民法にも国籍法にも「母の認知」について出ていますが、現実には、もうないと思います。 ということで、非嫡出子の推移を見ることにしました。 7~8割くらいの非嫡出子が認知は受けているのだと思いますが、これは、単なる私の感覚です。 明治大正時代は、非嫡出子の割合が高いです。 全出生子数に対する非嫡出子数の割合で、8%台とか9%台とかが、並んでいます。 家庭外に子供を作る男性が多かったのと、子を懐胎してはじめて婚姻届を出す、という場合が多かったのが原因らしいです。 大正9年で、8.3%。 昭和に入ってからは、昭和55年頃までは、ずっと減少を続けており、昭和55年で、0.8%です。 その間、太平洋戦争間近の昭和15年に戸籍実務の変更があり、婚姻届が出生より早ければ、嫡出子として扱う、というようになりました。 それまでは、どうやら、民法の条文どおり、婚姻から200日未満に生まれた子は、非嫡出子としていたようです。 ただ、昭和15年以前から、かなり減少していますから、減少の原因を、戸籍実務の変更や、戦後の男女平等思想の浸透だけに求めることもできないようです。 大正時代後期あたりに、日本人の家族生活に関する考えに変更が生じたと思うのですが、これも、まあ、私の感覚です。 そして、昭和55年ころ以降は、徐々に増加しています。 ただし、ごく緩やかなもので、単なる、ゆれ戻しかも知れませんし、日本人の意識に何らかの変化があったのかもしれませんが、内容は、はっきりしません。 この前違憲判決が出た国籍法3条ですが、日本人男性に対しては、「結婚しないで子供をもうけるのはやめなさい、日本は冷たい対応をしますよ」、というメッセージを送ると同時に、日本人女性に対しては、「結婚しないで子供をもうけても、日本は温かく迎えてあげますよ」、というメッセージを送っていたわけで、まさに、その線に沿って日本人が行動した表れが、非嫡出子の割合のごく緩やかな増加傾向ではないか、というような気がします。 が、これも、またしても私の感覚です。 現在、約2%。 昭和30年ころの水準です。