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昨日の朝、6時頃だったでしょうか。
採血に来た看護師さんが、私の熱い腕から血液を取ったあと、私の枕元にしゃがみこんで、じっと私をみつめて、 「こんなに長い事熱がさがらなくて、つらいね」 と小さな声で言ってくれました。 私は失礼な事に、名前も覚えてはいないのですけれど、 数時間前の真夜中にも、寒気で歯をガチガチ言わせてる私に、布団を足して、電気毛布をかけてくれた人と同じ人でした。 私は、つらいねといわれて、あー、本当、私つらいよ、つらかったよ、とやっと気づいた子供のようになってしまいました。 そして驚くべき事に、私は「おうちへ帰りたい」と、幼児のようにその看護師さんに訴えていました。 そして、次の瞬間には、私は55歳の主婦に意識の焦点が合ったみたいに、まくしたてていました。 「どんな検査をどれだけやっても、結果がでて来ないんじゃ帰れませんよね。」 「肺にも肝臓にも針も刺したし、少量残った水を引くため、また管も入れた。尿も啖も生検査できるのは全部やって、薬も色々変えて、こんなに使って貰ってるのに、なんで下がらないの…」 「病院にいたって同じだから、私もう家に帰ります」 と言ったと思ったら 「今こんな私が帰ったって、高齢の母と、体調の悪い娘の足手まといになるだけ。お使いも洗濯もできない、ご飯も作れない私は、このままじゃ帰れないんです。」 酔っ払いの屁理屈の様相を呈してきた… 「せめて熱だけ下げて下さい。そしたら私帰ります。」 そういって、私はぽろぽろ泣きだしました。 全くなんという事でしょう。 自分優先主義というのは、ずいぶんカッコ悪い感じ… 看護師さんは、そんな私を見捨てたりせず、じっと座ったまま 「そうだよね。元気になって家に帰りたいものね。ご家族もそのほうが嬉しいよね。誰にも相談できないでいたんだね。」 最後の一言で、私はまた一つ、連想ゲームのように思い出した事がありました。 今回の入院をしてすぐ、先生から提案がありました。 痛みどめとして毎日三回飲んでいたロキソニンは、胃を荒らすので、長期は使えません。なので、モルヒネ系のオキシコンチンを出します。入院中に、ベストな量の調整も出来たらと思っています。 それでも痛みが引かない時のために、レスキューと呼ばれる液体のモルヒネがあります。今回はオプソというのを出しておきますので、何度でもナースコールして貰っていいですよ。 といった内容でした。 はいわかりました、と私は返事をしましたけれど、私はわかりすぎるくらいわかっていました。 そろそろ亡くなって七年経つ夫が、最後に処方されていた薬だったからです。 食事も取れなくなり、水分も取れなくなり、自宅の介護ベッド(それでも当時は年齢が若いという理由で介護保険を払ってるのに介護保険が使えませんでした。当時は無我夢中でしたから、何も感じる余裕はありませんでした。) オキシコンチンとオプソを飲み始めて何ヶ月もしないで、もう飲み込む事が出来なくなった夫は肌に貼るパッチタイプのモルヒネに代わりました。それから、グーグー大いびきで眠ってばかりいて、時々夢かうつつか「頑張るぞう!」なんて言っていましたが、二週間ほどで旅立ちました。 まあ、私も言うなれば、最後の薬を渡された、とは思ってないですけど、間違いなく、夫が最後の苦しみの中で、私が渡した薬を、今度は私が飲む事になるのです。 お父さんは私が一生懸命お世話したけど、私は病院に来るのも先生と話をするのも、貰ったデータを分析したりするのも一人なんだよ。 なんだよ、サッサと先にいきやがって! (こんな事誰にも言えないよ。コソコソ) と堂々とブログに書く私… 後で薬剤師の先生に聞いた所、その時代には、先生方自体も使う事を怖がり、痛みのコントロールがうまくできていなかったようです。痛みさえなければ寿命も延びるというデータもあるようですから、私は大いにモルヒネの恩恵にあずかろうと思っています。 さて、久しぶりに自分のブログを携帯で見たら、なんにも日記を書いてないのに、随分たくさんの方々が訪れて下さってたんだな、とカウンターを見てびっくりしてしまいました。 ありがとうございます。 それとびっくりしたのは、自分の携帯の扱いスキルの著しい低下です。高熱が続いているせいにしたいのですが、本当に頭も悪くなってるもようです。時間も三倍もかかってます。 きっと、たま-にしか更新できません。お許しください。 あ、でも今年は自分最優先Year(別名俺様Year)だからよしとしよう。 それではみなさま、次回がいつになるか誰にもわかりませんが、ごきげんよう。良い夢見ましょうね o(^-^)o お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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