コクダイパン的なものに懐疑的になる理由
mixiばかりをしていて,こちらはとにかく放置。けど,mixiは友人ばかりで愚痴が吐きにくいからなあと,こちらで愚痴を吐いてみる。さて,コクダイパンについてである。http://blog.kokudaipan.info/コクダイパンとは国立大学職員一般職員の事を対象とした自発的かつ全国的な勉強会である。イメージとして国立大学職員一般職員の学会という感じなのだろうか。共通する課題に対し,全国的に有志を集め,年1回,フォーラムと懇親会を行う。その結果を受けて提言を行う。まさに国立大学一般職員を対象とした学会だ。ちなみに自分のとこでも,自分のような年代の連中が集まって自発的な勉強会を行っている。今年で3年目だ。内容としては,業務情報交換が主だけれども,今年ぐらいから「改革案」的なものを検討しようかという話になってきた。勉強会を起ち上げたのは自分だ。自分というと大声過ぎるが,みんながやろうかという気持ちはあったので,ちょっとだけまとめ役になった。 自分とその同期が集まって,てか,このままだと自分たちが「やばい」んじゃないか。という意識で,とりあえず情報交換をしようという事で集まってみた。この場合の「やばい」にはいろいろな意味が込められている。大学に求められる役割が変化しているのに,大学全体が変化に対応していないから,「やばい」。事務職員の業務が,従来の右から左だと対応できないぐらい複雑化しているのに,誰もなんもしていないから「やばい」。公務員体質だから「やばい」。OJTだけで,研修が少なく,専門馬鹿になりそうだから「やばい」。等々。「やばい」の意識が自発的な勉強会の起ち上げに結び付いたのだ。それはいい。ただ,思うのだ。事務職員が集団化し,何かしらの改革のアイデアを作ったとして,結局,行うのは教員の方々なのではないか。事務職員は研究も教育は行えない。地域貢献はできるのかもしれないけれど,それはあくまで「地域のゴミ拾い」的なものでしかなく,大学が持つ「知」を利用したものではないだろう。そうなると思うのは事務職員「だけ」が集団化し改革を掲げることは,大学というものをはき違える結果にならないか。 いや,良い点も数限りなく思いつくのだけれども,どうも懐疑的にならざるを得ない。自分としては,事務職員は事務職員で結束するよりも,自学の教員とのコミニュケーションの方がより重要じゃないのか。と思ってしまうのだ。さてさて,どうしよう。下手な考え休むに似たり。それもわかっているんだけれども。