カテゴリ:Serial stores
青山へ向かうバスの中でライズは今朝母親が言ったことについて考えていた。 「今日はこれから雨が強く降るし雷も鳴るから、早く帰ってきなさい。雨に打たれても、どうってことはないとあなたは思うかもしれないけれど、その雨は窓を強く叩いて壊してしまうほどの雨かもしれないから、甘く見ては駄目。とにかく早いうちに帰ってきなさい。」 母親は時々そんな風に言うのだった。 天気予報とは全く逆のことを。 そんな時にはほぼ間違いなく母親の予報の方が当たるのだった。 空は青く何処までも広がっていた。雲ひとつ無かった。 オレンジ色の太陽は7分前に放った光をこの地球に送り続けていた。 人は7分だけ過去の太陽だけしか見ることは出来ない。 今見ている太陽は、7分も前の太陽なのだ。 その真実を心に納めるのに一体どのくらい掛かっただろう。 今でも違和感を覚えるけど、それほど太陽は巨大で、遥か彼方にあるのだ。 直ぐそこにある様に見えるけれど・・・。 直ぐそこにある様に見えて、遥か彼方にあるもの・・・。 あの男の子も直ぐそこにいるのに、遥か彼方にいるように遠かった。 ライズは20年だけ過去のあの男の子を見ていたのだろうか? もしあの白い女が言ったことが本当だとしたら・・・。 ライズはバスを降りると画廊へ向かった。 画廊は開いていた。 けれどあの絵は無かった。 あの絵の場所には、真っ白な「セレスティーナ」が飾ってあった。 黒のマントに身を包んだセレスティーナが白のマントに身を包んでいた。 ライズはここで逃げてはいけないと心を強くして、中に入っていった。 あの男の子がいた。 ライズの胸は張裂けそうだった。 感動だろうか?驚愕だろうか?喜びだろうか? 言葉が出ないという状態になって、あっけに取られてただその男の子を馬鹿のように見ていた。 男の子は 「あなたが来ることは判っていました。だからずっと待っていたのです。」 と血が通った人間らしい暖かさを込めてその子は言った。 それはピカソ展で見た、神秘的な男の子ではなくて、生身を持った、ごく普通のちゃんとした、健康的な若い男の子だった。 ライズはやっとの想いで男の子に聞いた。 「何故それが判ったの?」 「上手く言えないけど、ここにあなたが来ると確信していたから・・・。」 「あなたとここの繋がりは?」 「ここは僕の母の画廊です。でも母は少し変なんです。僕の絵を見に来た人の話を母から聞いて、その人はきっとあなただと思った。」 「あの白い人があなたのお母さん?」 「そうです。今日は家で休んでいます。僕を描いた作品にあなたが興味を持ったから。それで少し錯乱してしまったようです。 ここは画廊といっても母が自分の作品をただ飾っているだけなんです。 売る気なんてまるで無いくせに。」 「でもお母様はあなたを描いた絵を売ろうとした。40万で。買うつもりだったし、欲しいと思っている。」 「でもお金がない?」 「今はね。でも必ず払う。」 「だからはずしておいたんです。あなたの為に。」 「ねえ、何故盲人の食事の前であなたは急に消えてしまったの?」 「それはね、あなたが怖かった。執拗に僕を見るあなたが・・・。 でもあなたが嫌だったというわけでもないんです。 ただ僕はとても臆病で、怖がりだから・・・。 見られてることに耐えられなくて、あなたがしゃがんだ隙に出口から出てしまったんです。僕は「盲人の食事」をただ見たかったから・・・。あの絵が大好きなんです。それで母に頼んで描いてもらったんです。」 「でもあなたのお母さんは20年前にメトロポリタンで知り合った男の子を描いたと言った。」 「そう母は作り話が得意なんです。格好も凄いでしょ? 白い瞳のコンタクトを入れたりして。母は「セレスティーナ」が好きなんです。 そして白という色が変質的に好きなんです。何でも白じゃないと許せないみたいで。だから僕が小麦色の肌をしていることが許せなかったんでしょうね。 父と離婚して僕を父に任せきりにした。そのことを母は随分後悔して、今は一緒に暮らしてるんです。父は新しい人と再婚しました。」 「そうだったの・・・。この画廊を見つけたのはホントに偶然だった。「セレスティーナ」が引き合わせてくれたのかな?ピカソ展で初めて「セレスティーナ」を見てこの絵を欲しいと思った。そんなこと初めてだった。あの絵には人を惹き付ける力がある。そして「盲人の食事」はあなたのおかげでとても好きなった。」 「ありがとう。母が描いた僕の絵は来月から毎月一万円払ってもらえればあなたの家に送ります。毎月その一万円を持ってここに来てください。」 「ホントにいいの?それで?」 「勿論」 「ありがとう。こんな嬉しいことってない。」 ライズはアパートの住所を教えると画廊を出た。 母親の天気予報は外れた。 とても気持ちの良い宵闇が訪れていた。 でもどこかで雨は大量に降り続け、窓を叩き、それを破壊しているのかもしれない。 終 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.26 21:37:29
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