カテゴリ:Short stores
二人は手をつないで、頬を寄せ合って、微笑んでいる。
その時、まるで小さな恋人同士みたいね、と両方の母親が言った。 明るい日差しが所々に差していて、緑の木々がそよ風に揺れて、木々の間からは青い空が少しだけ覗いている森の中でのことだった。それは遠足の時のことで、その二人の写真は幼稚園のアルバムに貼られた。 純ちゃんは幼稚園生とは思えない人格をしていた。背が高くて、ちょっとだけぽっちゃりして、色が白くて、大きな茶色い瞳をしていた。とても可愛い男の子だった。お母さんが40を過ぎてから産まれた子だった。 言われたことはきちんと出来るし、言われなくても出来ない子を手伝った。幼稚園生は普通自分の事も出来ない子が多い中で、異質な存在だった。 幼くても純ちゃんが他の子とは違うという事を、誰もが知っていた。 純ちゃんはいつも何も言わずに手伝ってくれた。気が付くと純ちゃんが近くにいて、ハサミで折り紙を綺麗に切ってくれたり、画用紙に一緒に貼ってくれたりした。片付けまでちゃんとしてくれた。また後でね、ってにっこり微笑んで自分の席に帰っていった。それは親同士が仲が良かったから、また一緒に帰ろうね、と言うことだった。 母親同士はおしゃべりがしたくて、お迎えの帰りにそのまま純ちゃんの家に良く寄らせてもらった。何時行っても綺麗に家の中が整頓されていた。 居間が吹き抜けになっていて、中二階には和室があった。その和室で純ちゃんと良くトランプをしたり、ゲームをしたり、お絵かきをしたりした。 夕飯をご馳走になって帰ることも度々だった。二年間で一度だけ、泊まらせて貰ったこともあった。御殿場まで一緒に旅行したことも・・。想い出が多かった。純ちゃんのことで一番心に残っていることは、誰かが純ちゃんの目の前で、誰かを叩いたり、何かをわざと壊したり、誰かのものを取り上げたり、悪いことをする友達を目の当たりにする時、純ちゃんは目を瞑った。 それは本当に瞳を閉じてしまう事をした。その姿は今でも私の心に焼きついている。苦しみをこらえているように身体が震えていた。 純ちゃんが病気だったことを私たちは知らなかった。卒業してからは滅多に会わなくなってしまっていた。小学、中学は別々だったから。母親は年に何回かは親同士で会っていたけれど、それも中学生に子供たちがなる頃には電話でたまに話すくらいの疎遠になってしまっていた。だから純ちゃんが白血病だと言うことを全く知らずにいた。 中学三年の二月の終り頃、通っていた幼稚園の近くの個人宅で英語を習っていて、その帰り道で純ちゃんと偶然会った。とても寒い日で吐く息が白くて、震えて歩いていた。純ちゃんは手袋をした手で、手を振ってくれて、元気?と昔と変わらない明るい声で聞いてくれた。その明るく優しい笑顔が懐かしかった。一瞬二人は道端で近況を報告し合って別れた。今度みんなで会おうね、と言いながら・・・。それが最後だった。 その二ヵ月後の四月に純ちゃんは亡くなった。純ちゃんのお母さんの悲しみ方は尋常ではなかった。それを見ることが辛かった。普通に話せるようになるまで時間がかかった。そして純ちゃんが亡くなって一年が過ぎた頃、話をする機会があった。亡くなる二ヶ月前に偶然純ちゃんに会ったことを話したら、その頃は病院に入院していたとお母さんは言った。病院は新宿の大学病院だった。病院から純ちゃんが出たことはなかったとお母さんは言った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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