テーマ:独り言(100)
カテゴリ:独り言
今日は友達のお父さんの葬儀だった。
今日も会計係りをした。 棺にお花を入れてお別れをする時、おじさんがいつも被っていた帽子と、気に入っていたジャケットとズボンとシャツとステッキが入っていた。 それを見たとき急にいろいろと思い出して悲しくなった。 おじさんがそこに入っているものを全て身につけていた頃のことが鮮明に浮かんできて。 恰幅が良くて貫禄がある人だった。 棺の中のおじさんは別人のように痩せて小さかった。 友達のお母さんは家事を一切しない人で、ただお金を使うだけの為に生きている様な人だった。 とにかく薦められるままに値段など関係なく買う人だった。 そしてほとんどのものが未使用のままに押入れに葬られていた。 食事はいつも決まった店の惣菜とか刺身とかを買っていた。 洗濯物のほとんどはクリーニング店に出していた。 おじさんは羽振が良かったから好き勝手におばさんをさせていた。 友達は堅い性格だけど、お姉さんはおばさんに生き写しだった。 だからおばさんが早くに亡くなって、お姉さんが結婚して子供を産んでも、おじさんが面倒をみていた。 仕事を引退してからは、お姉さんの家族と同居して娘がしない家事を代わりにしていた。 癌になっても入院したくない、手術したくない、と言って家にいて、傷みに耐えながら孫や娘の面倒をみていた。 でもとうとう極度の貧血を起こして倒れてしまった。 入院を余儀なくされたけれど、もうそれこそ手遅れだった。 ただモルヒネを打つ以外ない毎日だった。 そんな訳で病院に入ってからは苦しむ事もなく、ひと月後に息を引き取った。 お姉さんは自分の夫よりもおじさんに全てを委ねていたから、おじさんを失った悲しみは、だれよりも大きかった。 そのお姉さんが酷く悲しむ姿を見ているのが辛かった。 これからの自分の身を案じて泣いている部分もあったかもしれないけれど。 それぞれの家族にはそれぞれの在り方があると思う。 いい悪いは関係なく、ただそれはあるのだと思う。 葬儀場に行くのに雨の中を歩いていた時、こうして雨の中を歩く事が嫌いではない事に気がついた。 傘をさして歩いていると、あまり周りの風景が目に入らないので、内省的になる。 普段落ち着いて考えられない事を考える事が出来る。 最近の事について考えていた。 どうしてよいのかわからないこととか、どうしようもないこととかについて。 わからないことはわからないままにしておくしかないのかなって思ったりする。 どうしようもない事はどうしようもない事で、諦めるしかないのかなとか。 この頃そういえばあまり楽しい事もないなとか、書くことが暗いなとか、何か面白いことを思い出そうとしても、何故かあまり浮かばないとか。 でもそのうち良い事もあるかもしれないし、良い事が起こっていても気がついていないだけかもしれないとも思う。 荒井由実の「雨の街を」が好きだったとか、昔のソウルグループの曲で雨音がイントロだった曲があったとか、森瑤子の「情事」にレインという青い目のイギリス人の男性がいたとか。 そんなことを考えて歩いていたら葬儀場を過ぎてしまって、慌てて引き返した所を友達に見られて笑われてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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